鶴見宗次さんは手ひねりといわれる方法で、
器を作っています。
轆轤(ろくろ)を回して挽きだす作り方とは違い、
手あとが残る表情や、丸くても丸くない・・・・。
少し歪んでいる、美しさと力強さがあります。
それに盛りつけした料理を実にしっくり抱えてくれて、
とても盛り映えがして、美味しそうに!
また轆轤では挽きにくい、珪石の一杯入った、
ざらざらして伊賀原土や常滑の土を混ぜた作った杯土(=粘土)を、
使っています。

作り方もシンプルですが、
そうして出来上がった器に木の灰をかけ、
後はその灰が溶けてガラス質になるまで、
ただ、がんがん焼くだけです。
棚板に溶けたくっついてしまうので、
貝に粘土をつめたものを碗や皿の下に数個置いて、
台にして焼きます。
この貝の目後が残ったりすることがあり、
貝高台と呼ばれます。

要素が少ないから簡単とは行かず、
むしろ、焼き方や原土の杯土の影響も大きく、
かえって、調合して作る釉薬とは別に難しさがあります。

まるで石肌のように焼き上がった肌合いは、
水との相性がよいので、
使う前にたっぷり水に浸してからつかうと、
瑞々しい清流の岩肌のようで、
初夏から夏の器として、喜ばれた焼きしめの肌合いを、
楽しんで頂けます。
甘庵
会場内のようすや、器一つずつの価格や寸法がわかるHPがあります。
ご覧になってください。
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荷到着
開店寸前に、
よめ膳@カフェのYOMEさんが、
鶴見さん待ちきれずに来てくれました。
「ごめんなさい、まだ飾りつけできたなくて・・・・」
「お手伝いしますよ!!」と笑顔のYOMEさん。
「それが~まだ荷物が着いてないの~」
「これ違うんですか?」
「ああ~それは発送する荷物なんですよ」
なんていっていて、YOMEさんとゆうゆうには、
時間つぶししてもらっていたら、
そこに、荷物が届き、ダッシュで飾り付け。


YOMEさんも手伝ってくれちゃいました。
「かっこい~」「これ私好み・・・」と誰とはなくしゃべりながら・・・。
ぼくがオヤジだからではなく、
ああーだれでも器好きだとこうして、一人ごとに近い状況で、
荷ほどきしちゃうんだ~。
っていうか、誰より最初にみれるのは、
面倒な作業を補ってもおつりが来る、
喜びがあるんですよ。
コレが有るからうつわ屋やめられないっていう楽しさです。


はい、器好きの奇特な方がいたら、
企画展ボランティア募集しますよ。
次回は角掛政志さんです。
予定通り窯が開けば、4月10日(火)の閉店後で~す。
でもまた、ぎりぎりの初日13日(金)の10時頃かも・・・。

なんとか、
HPの会場が見られるページに画像はアップしました。
さて、なるべく早く、寸法と価格をアップするための採寸をしないと。
がんばります。
甘庵
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今日からの企画展「鶴見宗次 美しき手あと 展」ですが・・・。
10時現在の荻窪「銀花」店内の様子はこんな感じです。

飛脚さんのスピーディさにおぼろげに期待して、
待っている状況です。
火曜日夕方に鶴見さんから電話。
「今回の焼き上がりはどうですか~?」
「う~ん、さて~」
「鶴見さんの仕事は、灰をかけて焼くだけという要素がシンプルなだけに、
同じようには焼き上がらないし、むしろ大変な仕事ですよね~」
「はぁー・・・・まだ窯のなかなので・・・・」
「ぎぇ~」
という、のんびりというか、焦らないというか・・・。
いえ、焦ります。少なくてもぼくだけは・・・・。
雨の中急ぎ足で出てきて、
8時過ぎにはスタンバイして待っておりますが・・・。
雨は上がったので、この調子で全てがいい方向に行くのを期待してます。
甘庵
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お話し会終了
昨日までの企画展「春のしつらえとお話し会」で、
お話し会に参加頂いた皆様ありがとうございました。
26日の記事への
はなさんからのコメントへお返事したように、
お話し会はとても勉強になりました。
直に伺った皆さんの器への疑問や質問は、
もっとかみ砕き、わかりやすくお伝えしていかないとと、
改めて反省することもありました。
また、器への熱心な思いや、大切にしてくださっていることを、
強く感じて、ぼくと同じ「器大好き人間」と感じ、
とても嬉しく、勇気づけられました。
お話し会参加していただいたのにお礼のメールを頂いた皆様。
ご自分のブログへご紹介いただいた
MINITURE GARDENさん。
改めてありがとうございます。
”うつわ屋のつぶやき”は、マイナーな器好きの声なので、
タイトルに”つぶやき”って。
でも、もっともっと、わかりやすくしっかりしたメッセージをお伝えして、
器好きの輪が広がっていけば、
”うつわ屋の声”>>”うつわ屋の大声”などとなるくらいに!!
いえ、タイトルは変えませんがね。
さて、お話し会のネタがまだあるので、
お知らせしておきます。
次回こういった機会があるまでには、
もう少しでも、圧縮し省き濃縮して、
短い文章でもわかりやすくなるように、
がんばります・・・ので、今回はお許しくだいね。
甘庵
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5.器と暮らす
漆などは身近で使うものなのに、誤解ために使いにくいと思われがちです。
器の使い方、洗い方、管理の仕方などから、
四季に合わせたり、晴れと褻(ハレとケ)での器の選択など、
積極的に暮らしに取り込む知恵をお話しします。
a. 暮らしの中の器
器は使われてこそその価値を見いだせます。
工芸作品には広がりがあります。身近な食器からアートまで、その範囲はとても広く、境目も曖昧です。それでも、日本の工芸のほとんどが、使われる目的の元に作られてきました。
そして、使われてこそ、器は生きてきます。それが日本の工芸の特徴と言えます。
漆器、陶磁器、ガラスなどの器を使うと言うことは、危うさも同時に持ちますが、使い方の基本を理解していれば、かなりの部分を軽減出来ます。
その使い方の基本をお話しましょう。
b. 漆器と暮らす
漆器は、多くの他の器と違い生き物です。
素地は生きていた樹木を挽きだして形作り、使いやすく丈夫にするために、樹液の漆を塗り仕上げたものです。化学的に言えば、炭素と水素を基本にした有機素材で出来ています。つまり使い手であるぼくらと同じ生き物だったのです。この点を好意的かつ正しく理解頂いて、漆器とのつき合い方とつき合い方を知っていたいものです。
重ねてお伝えしますが、漆器は木が好きな私たちが木を使いやすくするため施した方法なのですがとても誤解が多いので、その誤解を解くためにまとめてある物をここに提示しておきます。
【日常茶飯の漆器】
●漆器は日常の器です
漆器は他に比べる物のない艶やかな独特の表情や質感から、ほとんどの方に、好感を持たれていながらも、誤解から普段には使いにくいと思われているようです。
木の大好きな国に生まれた私たちは、風土と長い歴史の中で木の器や道具を、丈夫に美しく使う方法として漆を塗ることにたどり着きました。漆は木との相性がとても良く、木の呼吸を止めずに、柔らかくしなやかな皮膜を作ります。被せたというより新しい肌が生まれたといって良いでしょう。素材感や量感を損なわずに、木を朽ちりや黴から守ってくれます。
つまり、木の器を丈夫で使いやすくするために、漆を塗ったのです。
【良くある誤解】
●漆器は誤解されていることが多いんです
「傷が付きやすいでしょう」
「洗うのがや、後始末がね」
「熱いものは入れられないでしょう」
「漆の臭いがとれなくて」
などといった声をよく聞きます。この質問に一つずつ答えることで、誤解が少し溶けるかもしれませんね。
【傷が付きやすいでしょう】
●車や家具と同じに塗料への優しさで十分
確かに、漆は塗料ですから柔らかな表面を持っています。その上素地は、木が普通ですからお使いになる方の優しさは必要でしょう。でも、過保護ではなく、工夫で充分です。漆器で食べるときは、金属のナイフやフォークやスプーンではなく、日本の食文化通りに箸や木の匙を使って下さい。しっかり作られた漆器なら、減るほど使っても、剥げることなく、侘びた美しさ見せてくれます。漆器は剥げるようでは、塗り手の恥。論外です。
【洗うのや、後始末がね?】
●他の食器と同じに考えてください
汚れは、スポンジに中性洗剤を使って洗って下さい。私たちにも漆器にも洗剤は残さずに良く濯いで下さい。今は、ほとんどの人が、陶磁器やガラスの食器をぬるま湯で洗っているように、漆器もぬるま湯の方が、汚れが落ちやすいですし、洗うぼくらにとっても、水よりずっと楽でしょう。他の器と一緒と考えていただいて、良いと思います。ぼくは、洗う順序を工夫しています。最後に洗い、堅い物や、尖った物のうえに重ねる前に拭いてしまいます。これで、大きな傷の原因の大部分が取り除けます。最近使う方が増えてきた食器洗浄器も、ちょっとした手間や工夫で、問題なく使えますよ。食洗器は、洗剤とお湯で、しかも、こすらず洗うと考えれば、ある意味では、漆器向きの洗う方法。ただ、中身が木であることは忘れないでくださいね。木の器を使い安くするために漆を塗った漆器は、熱に強く、酸やアルカリも強いです。けれど、生き物だったために、紫外線や乾燥には、強くありません。つまり、熱湯で洗う段階では、その丈夫さに問題はありません。問題は、乾燥する時です、熱風で、片寄って熱くなったり、急激な乾燥は、素地である木には優しくありません。そのためには、乾燥モードに入る前、洗浄が終わった時点で、いったん留めて、漆器だけ出してしまう。あるいは、そこで留めて、蓋を開けて自然乾燥。そんな工夫で漆器も問題なく、食器洗浄機で洗えますよ。
【熱いものは入れられないでしょう】
●漆器は熱に強い塗料です
木は保温力を持ち、熱が伝わりにくく、漆は熱に強いので、熱い汁を熱く食べる為に、自然と椀が選ばれました。余談でいえば、塗料としてだけではなく、良い接着材でもあります。たとえば、昔から焼き物の繕いとして、「金継ぎ」と言われる方法につかわれています。漆を接着材として使うので、熱い食べ物も入れられる器として使えるわけです。茶釜の多くは、鋳物であるために、カタチから上下二つに鋳込み、それぞれを、漆で継ぐそうです。鋳物の溶接は現代でも難しい技術を要するそうです。でも日本に良質の漆と、それを使う技術があったので、成立した茶釜なのです。また、鉄である釜の錆止めとして、漆の焼き付け塗装もしていますね。
ちなみの、松風という湯がたぎる時になる音は、釜のそこに鉄片を漆でつけた物が、振動してだすと聞いています。湯がたぎっても剥げないのは漆だからだそうです。
【漆の臭いがとれなくて】
●漆は匂いますが、漆器は匂いません
生の漆は匂うし、かぶれますが、漆器は木地に漆を塗って乾いたものが店頭に並びます。
当然のこと臭っても、かぶれてもいけません。それに、良質の漆器は使うほどに色艶を増して行き、手に馴染む美しさを見せてくれるでしょう。
【JAPANの誤解がとけると良いな】
●誤解が解ければJAPANが使いたくなるはず
現代の漆器には、解決しなければならない問題が山積み状態です。いつの間にか、沢山の誤解を背負い込んでいること。年々高くなる人件費と、手間を惜しんでしまう気持ちが、雪だるま式に膨らんでいること。乾燥を早める物、ちじみを防止する物、艶を出す物などが混入されたために、臭ってしまったり、不自然な照りの肌合の漆器が多いことは、とても残念なことです。
【JAPANを辞書でひくと】
●はじめに出てくるのが、なんと!!
ja・pan
━《名》[U]
1 漆.
2 漆器.━《形》漆(塗り)の, 漆器の.━《動》(他)
(ja・panned; ja・pan・ning)〈…に〉漆を塗る, 漆でつやをつける.
とあります。
知っていましたか?
チャイナ(China)は磁器のことを、ジャパン(japan)は漆器を意味するのは、それぞれの品質の高さからです。本物の漆器であれば丈夫で使いやすい日常茶飯器です。
漆器の使い方
漆器を手に入れた時は、普通なら漆器は乾いたものですから特に特別に神経質にならなくても平気なはずです。
洗うときは柔らかなスポンジや布で洗いましょう。
汚れは中性洗剤で洗い、水か湯でよく濯ぎましょう。
漆は塗り上がって漆器になって乾いた状態から、約半年ぐらいの間に、透けると言う現象がみれます。
とくに、木地が見える塗り方のスリ漆や拭き漆や、木地呂などは、塗りたては黒っぽく木地が見えなかったものが、だんだん漆が透明感を増していって、木目が見えてきます。これを透けるといっています。同時に漆の肌も塗りたては柔らかくこの期間でぐーんと締まり強くなります。
その意味では、半年は赤ちゃん扱いしていただけるといいと思います。たとえば椀などは、貝類の具を我慢して方が賢明です。貝の殻は固いので、箸でかき回しているうちに、運が悪いと欠けた貝の殻の部分などで、擦り傷を作りやすいことになります。
半年以降はだんだんと、塗膜面がしまってきますから、特に気にする必要がなくなってきます。
漆器は熱にも強いですし。使うとき、洗うときに硬いものと喧嘩しなければ、何の心配もありません。
たとえば、金属の匙やフォークなどを使うことや、洗って“やきしめ”のざっくりしたやきものに重ねておいたりするのは、避けましょう。洗った後に良く拭けば色艶をどんどん増して行きます。
仕舞い方は、とくに難しくはありません。使う頻度によっていろいろでしょう。
おみそ汁の椀などのように、毎日使うようなら、食器だなにそのまま他の食器と一緒にしまって良いと思います。ただ、重ねる時に出し入れでこすり傷が付かない工夫は必要でしょう。ザクザクした肌のやきものなど直ぐ隣でない方がいいですよね。日が射し込む食器棚も、紫外線に硬化していくので避けてください。
長くしまうなら、和紙や柔らかい紙、または布で包んでしまいましょう。出し入れで落としたり傷が付くアクシデントがないように、箱に入れるのも優しい選択です。
仕舞う場所は、出来れば温室度の安定したところがよいでしょう。漆器は中身が木であることをイメージしておいてください。反ったり歪みそうな条件の所は避けてください基本的には、人がいられる場所なら、問題はありません。
万が一、落としたりした事故で壊れたり、あるいは使っていて、何か故障が起きたときは、なるべく早く、手に入れたところや作り手に相談して、必要なら補修や修理をしてもらいましょう。全てが治るわけでも、元通りに修理出来るわけではないですし、補修後の色合いも、変わることもあるでしょう。それでも塗装の範囲なら、かなりの修復が可能です。手間のかかる仕事になることなので、内容によっては有料になるでしょうが、。その時はお使いになる方の、採算性や思い入れとの判断でしょう。
c. やきものと暮らす
やきもののなかでも特に陶器のお話をしましょう。一番やきもの特徴を備えていますし、扱いも理解と思いやりが必要です。ここでは、粉引きを例に取ってお話してみます。
ぼくの店で粉引きをお求めいただいた方へのご注意として、まとめたものをここに掲示しておきます。
「粉引」 KOHIKI
粉引(こひき・こびき)という呼称は朝鮮半島より渡来した後に、粉を引いたような肌になぞらえてつけられたとか。(粉吹/こぶきともよばれた)それはさておき5世紀後の今日、和の器としてすっかり定着して大道にして基本といえるのは、使うほどに侘び寂びの味わいが深まるからでしょう。
その秘密は、名に由来する粉引の元である白い土を化粧掛けしているからです。素地の上で釉薬の下にサンドウィッチされた白い化粧土の層が、素地や釉薬より柔らかく、きめが粗いので湯水がしみ込みやすいのです。そのため、使い込んでいただくほどに貫入(カンニュウ釉薬の微細なひび)や雨漏手(雨漏りで出来たシミに見立てて呼ばれる)といわれる表情が出ることがあります。ただ、これらの侘び寂びの変化はゆっくりと、永い年月とともにあらわれるものです。それには使い方としてのやさしさも必要です。茶道のお手前でもお茶を点てるはじめに碗に湯を注ぎ温めるとともに碗を湿らせ馴染ませます。これは形式では無く、お茶を美味しく飲んでいただく為と、碗を大切にする心が形になったひとつです。目の前のお客様に温かく美味しいお茶を飲んでいただくだけでなく、数年先、数十年先、あるいは数百年先のお客様に美味しくお茶を飲んでいただけるように心しているのです。私たちが素直に見習う心構えが、茶道のなかには沢山あります。
焼き上がったやきものは、1200~1300℃の炎の中にあったのですから、ほとんど水分を含んでいない絶乾状態ですから、いきなり油やお醤油などをいれると後々まで残るほどしみ込んでしまうことがあります。それは臭いやカビの原因になることさえあります。特に粉引は変化しやすいので、おろしたてのうちは使う前にはお湯か水をくぐらすことを心がけましょう。これは、すべてのやきものにほしいやさしさですから習慣づけるようにして下さい。たとえ磁器のようによごれにくいやきのもでも、湯せんすると、コーヒーや紅茶のアクでも付きにくくなります。それに、温かさや冷たさもごちそうですから、温かな料理には器を温めて冷めにくくしたり、きりりと冷えた器で冷たい料理や飲み物を盛り付けるおもてなしをしましょう。
粉引は、素地の上に化粧の土と釉薬と言う工合に三層になっていて、それぞれが違う素材のために、特に口の部分が堅い物の衝撃には弱いので注意しましょう。箸の食文化の日本でこそ成り立ちますが、ナイフやフォークには不向きです。洗って水切り籠に置く時にも、優しくして下さい。最近はステンレスの水切り籠が多く、ほとんどが針金状の組み合わせです。もし、ここにやきものの皿や碗を伏せて置く時に、すこしでも上から放すと、皿や碗と、細くて丸いステンレス線の当たる所は点になってしまいます。逆さにして考えてみれば、皿や碗の縁を、ナイフで垂直にたたくのと同じ位の衝撃なのです。急ぐ時、忙しい時こそ、洗い籠にふきんやタオルを一枚敷かれると良いでしょう。
器は、使うことではじめて生きて来ます。粉引に限らず陶器や大切なやきものの扱い方は、器への優しさが基本です。難しく考えずに自然になれ親しんで、器に沢山の出番をあげて下さい。使い込むほどに器が、どんどん色艶を増していくことでしょう。
d. ガラスと暮らす
ガラスの器は明治時代に、新しい技術が導入され。急速に暮らしの中に広がりました。はじめは使い方も食習慣やお酒と強い関わりを持っていましたが、いつの間にか和の器のガラス器が出来始めて、今やぼくらの暮らしのなかでは、和の器としても成立しています。これはぼくらの血にある、ある種の得意技だと思っています。文化風習食まで、全て和のテイストを上手くとけ込まして、時代時代の暮らしの中で違和感ないもののしていくのが得意な人種なのだと思います。液体のまま固まるという、ガラスの持つ独特の性質や、透明であるという素材感が、暑くて蒸す日本の夏に涼を呼ぶ器の代表として、なくてはならないものとなっています。
そんなガラスの使い方でいくつかの注意点を上げておきます。
1. 急激な熱変化に弱い。ただ、極端に熱に弱い訳ではないので、温めながら熱いものを入れたりする工夫で、暖かい飲料などを呑むこともできます。ただ、クリスタルは、理屈上は、温度が上がると熔解しやすい、素地に含まれている鉛が、身体によくないので、使い方としてはお勧めしません。
2. 湿気に弱い。ガラスは水に溶けるそうです。とはいえ、お砂糖や塩の用に溶けるのではなく、表面が微量に変化するようです。それで湿り気の多いところの長く放置すると、くもってしまい、磨いてもなかなかすっきりしなくなってしまいます。お酢やお酢を希釈した水などで拭かれるといくらか取れやすいようです。
3. 水道水には注意。水道水には塩素が消毒のために入っていますが、塩素は水に溶けにくく、いったん結晶になるとなかなかとれません。鉢などを花器に見立てて水を張っていて、夏や乾燥しやすい季節に水が蒸発すると、塩素がガラスの表面に、結晶化していまします。こうなると、水に溶けにくい塩素のために、洗ってもこすってもなかなあかおちません。この時には、塩素を溶かすクエン酸で処理するしかないと聞いています。ぼくはクエン酸の溶けた水の中に塩素の出た器を入れ、少し浸けおいてからこすりました。なかなか手強い汚れの一つですね。
e. 暮らしの中の晴れと褻
師走、クリスマス、正月と、これからは一年のうちでも晴れの場が多い季節になりますね。
晴れの場はそれ以外にも、節句や誕生日や記念日などいろいろありますが、何でもない日でも、おもてなしの気持ちを盛り上げれば、それは過ぎに晴れの場に。
対して普段の日々を褻(け)といいますが、普段ですが、こと器に関しては、晴れは良い器、褻はお粗末や良くない器という分け方では、心が寂しくなります。
晴れでも褻でも、同じ器であっても間違いではなく、むしろどちらにも使える器ならより良い器と考えても良いくらいだと思います。晴れと褻はむしろ、設える側の心のゆとりがまず大切なことだとそう思っております。また、器選びの極意として、品格のある器を選ぶお話をしましたが、まさに褻の器が晴れの器になりうると言う事があり得るのは、“品格”にあると思います。この点をクリアすれば、取り回しも、見立ても、取り合わせも、フランクにシンプルに褻のブランチのセッティングも、格調高く華やかに晴れの場を演出することも、器選びを楽しめることとおもいます。
甘庵
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器についてのお話し会をしていて思ったのですが、
皆さん本当に真面目なんですよね。
まぁー確かに、甘庵はそうとうにいい加減だとは、
自覚しておりましたけど、
改めて感じました。

真面目に真剣にお話しを聞いていただいて、
とても細かく考えられていることが伝わります。
と同時に、器選びも「絶対失敗しない」という、
気構えを感じでております。
でも、器選びは考えすぎるとかえって難しくなりすぎでしまいます。
というか、有る程度しぼれてからの、
最後の選択には大いに役立つことがあると思いますが、
理論的にだけチェック項目で選択していっても、
自分にとって良い器となるかは、
さて、どうかな~。

器選びの極意は、好きな器を選ぶことです。
それしか有りません。
選択基準の中に、性能に関することがあれば、
それは、陶器に磁器の性質を求めるのも、
漆器にステンレスの性能を求めるのも無理なわけで、
それぞれの材質素材を生かしている器なら、
大きく期待を裏切ることはありません。
それより、「一目惚れ」や「なんかわかんないけどコレが好き」
という、選択のほうが、正解だとぼくは思っています。

もちろん好きという中に、
その器を自分が使うイメージがわかない器はダメですよ。
カップなら好きな飲み物がイメージできたり、
プレートなら得な料理を盛りつけてみたいと思ったらと、
そんな器ならまず失敗はないですよ。
器選びは、食いしん坊や呑み助が上手なことが多いのも、
そのあたりと共通することですね。
後は手に入れてたくさん使えば元が取れるし、
器のいいところがもっとわかり、
ますます好きになる。
やっぱり器は使わないと生きて来ません。
だからこそ、好きな器を!
好きだからこそ出番も増えて、
さらに上手に使いこなすことができていきます。

好きな器に出会ったら、それは縁です。
手仕事の器なら、一期一会ですから、
橋渡しする物としては、
縁を得る勇気を欲しいと願うばかりです。
甘庵
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今日の荻窪はとても暖かく、
これで桜も一気に開いていくことでしょう。
お話し会ネタはまだまだあるので、
細切れにしないでど~っと、長い。
なので、勇士・・・いえ、有志だけでよいので、
覗いてみたください。
*******************************
4.器と話す
作り手たちは翻訳家です。
自分が作り出すそれぞれの素材からの発信を、
ぼくらに分かりやすく、器と言う形で提供してくれます。
粘土が轆轤(ろくろ)の上であっと言う間に器になる様子や、
溶けたガラスを息で膨らまして作られたことや、
木からやっと手に入れた漆という樹液を、
何度も何度も塗り重ねたことなどを感じ取りながら、
器が作り出される様子や器の性質などを、器から聞きましょう。
a. 器が語ること
私たちの身の回りにある器は種類も、素材も豊富です。陶磁器、ガラス、漆器、プラスティックや、金属。作り方も、昔からの手仕事のから、コンピューターを使った仕事まで、多種多様に存在しています。
ここでお話するのは、手で作られた工芸に限ってのお話になります。作り手の力量で、器の語る言葉が豊富になったり、大きくなったり、あるいはわかりやすくなったりもします。それは、ぼくらに器の魅力や好さをアピールする事にもなるのですが、アピールが強く、あるいは華やかなものだけが、必ずしも良い器とは限らないものです。表面だけでなく、器からの語りをより正確にくみ取るためには少しだけ知識を持っていると、より聞き取りやすいと思います。そのための必要だと思う知識を少しお話いたします。
b. 素材の特性を知る
器はそれぞれの素材の持ち味を活かして作られています。それぞれの持つ性質や特性を知ると、より器の魅力ある語りを聞き取る事が出来ると思います。これは作り方にも、使い方にも、関わる事でもあるのですが、身近な器への知識は幅広く必ず役立つ知識になります。
大まかに性質から分類すると、
やきもの→陶器・・・・質感=荒い・ざっくり 特徴=素地の吸水性
せっ器・・・質感=硬い・緻密 特徴=素地は吸水性がない
磁器・・・・質感=滑らか・硬く緻密 特徴=素地は吸水性がなく透光性
ガラス →ソーダガラス・・・強く多目的 器から瓶や建築ガラスなど
鉛クリスタルガラス・・透明感があり、金属質の音色・・・脆い
硼圭酸ガラス・・・硬質ガラスとよばれ耐熱性がある=直火のポットなど
漆器 → 木胎漆器(もくたい)=ロクロで挽いた木の木地などに漆を塗ったもの
籃胎漆器(らんたい)=竹などで編んだ籠やざるに漆を塗ったもの
乾漆 (かんしつ)=紙や布などの芯に漆を塗り固めたもの=一閑張り
陶胎漆器(とうたい)=素焼きなどの焼き物に漆を塗ったもの
と、これらは材料や製法からの分類ですが、そのために変わる性質が、器を造りにも、
出来た器を使い、楽しむのにも必要なことです。これを器の語りとここでは表現しています。
c. やきもの声
まずは、一番身近で多く知識を持っているはずの、やきものからお話しましょう。材料は「粘土」と言われる耐火性のある粘りのある土を、手で形づくり、あるいは型に押し込み、更に、ロクロの技術を使い、形作ります。これは、普通粘土と言われる土の持つ可塑性が、形作ることを自由にしています。土ものと言われる陶器、せっ器は、これにあたります。石ものといわれる磁器は少し違い、石を細かく砕き、粉にしたものを基本の素材にして調整しています。粘土よりは挽きにくく、独特の技術がいります。ロクロという道具とそれを使いこなす技術があってこそ成り立ちます。土ものでも石ものでも、いずれにしても、可塑性のある粘土という状態でこそ、様々な形が作り出され、また、ロクロがあってこそ、量産されて、器として身近なものになりました。やきものは古くから使われていても、初めは無釉(釉薬のかからないもの)でしたが、時代と共に、様々な釉薬が開発導入されていき、江戸初期には現在見られるほとんどの作風や手法が確立されていました。当時は茶人などの限られた特権階級の人々のものだった器が、ご理解さえ頂ければ、身近で使えるという、恵まれた現状になっています。しかし、それに気づかずあるいは、器からの語りが聞こえにくいのか、限られた種類の、あるいは大きな声で語る器のみを使う方が多いのは残念です。とくに土ものは弱いとか、チップ(縁などがすこしだけ欠けてしまうこと)しやすいという、磁器に比べれば、素材の持つ堅さが少なく、色が変わって行く様を良しとしていただけないと、土ものの語りは心地の良い物とは言えないかもしれません。でもここに、侘び寂びといわれる和の美意識の代表が存在し、毎日の食卓でも楽しめる事だと、見直して戴きたいと強く思います。
一方磁器は、使うことで表情が変りにくいという良さをもっています。磁土は陶土より重いので、通常は薄目に仕上げるのが約束です。ところが陶土より挽きにくいために、薄く仕上げるの伝統的な技術が必要で、それがまた固定観念に結びつき、それが良い物の標準として定着し、それらは時代へ背景とともに、鋳込み(型物)、機械ロクロなどの量産と姿を変えていき、その量も多いために、磁器=量産をイメージする方もいたりします。それでも近年は、磁器の産地以外でも手の後を残した、温かみのある磁器を作る作り手が増えて来ているは、嬉しいことです。
やきものは、陶器でも磁器でも、作り方や、性質の多少の差や特徴がそれぞれにあっても、おおよそは粘土という形状の可塑性のあるもので作り出しています。そのために、やきものの器から聞こえる声は、まずこう語っています。
それが柔らかな瑞々しい肌合いの粘土をロクロという技術や、タタラという粘土の板にして型から姿を写したり、板を組み立てたりと、柔らかく自由になる性質を上手く使って、形が作られたことを想いながら、器を使い、お茶を飲んだり、料理を盛りつけたりして楽しみながら会話出来ると思っています。素材の粘土には、土ものほっくり焼けた陶器や、かちっとざっくりした土肌のせっ器や、光りにかざすと光りが通る滑らかな生地の磁器とか、器一つずつの違う顔つきがまた、楽しいものです。
d. 吹きガラスの声
ガラスも、やきものと同様に身近な器の素材です。器ばかりか、お酒や醤油といった液体や食品を詰める瓶や、建築や車や電車の窓ガラスや、電球や蛍光灯、プラスティックが多くなりましたがカメラや眼鏡のなど光学レンズ、断熱材などに使われるグラスファイバー、ファイバースコープや通信用ケーブルまで、広い範囲でつかわれています。
歴史も古く、紀元25世紀まではたどれるようです。初めは、装飾用かお守りか、今でいうトンボ玉のような小さく不透明のものでした。はじめに中空の器が出来るのは、コアガラスという方法で、粘土などの芯にガラスを巻いて形作り冷めた後に芯の粘土をかき出して作ります。その後紀元前後にローマンガラスという吹きガラスの原形が出来上がり、器を作るのに適した技法として、世界中に広がっていきました。
現代でのガラス工芸の器は、ほとんどこの吹きガラスの手法で作られています。酸化しにくくガラスに色をつけないステンレスのパイプに溶けたガラスを巻き取り、息を吹き込み膨らませて形作ります。装飾も様々な方法が好みで加えられます。
ガラスは人工の素材で、作り手の好みや意志が反映しやすく、色がある素地も、無色透明な素地も、作り手によって選ばれていて様々です。この素地自体に、まず、ガラスの語りがあります。ガラスは固まって固体なのですが、物理的にいう、液体が結晶して固まった固体ではなく、液体のまま結晶化しないで、液体の姿のまま固まっているためにそれぞれの色や濁りや澄んだ質感と見て取れます。形も含めてそれが熱く溶けた液体だったこと、そこに息を吹き込み巧みな技で形作られた事を、思い描いてみてください。
様々の好みの素地と、作り手の特徴のある形と相まって、様々なガラス器がつくられます。
やきものが、粘土で形作って、釉薬をかけて、苦難のともいうべき高い温度で焼かれて、姿を生み出すのとは異なり、水飴か蜂蜜のように高温で溶けたガラスを、それが固まっていってしまうまえの、わずかな時の間に、匠の技で、使い易さを満たした器の姿を生みだし、装飾も加えます。まさに熱い仕事なので、ホットワークといわれます。冷たい飲み物が入って結露したグラスが、熱く溶けたドロドロの液体から形作られたのことを想像しながら、飲み干すのも、不思議な感覚ではないでしょうか。滑らかで有機的な吹きガラスのフォルムを、眺め透かして、有機的な感触の掌(たなごころ)という、手に納まり心地を楽しみながら、グラスの語りに耳を澄ましてみてください。
e. 漆器の声
普通漆器は、ロクロで挽きだした木地に漆を塗り上げたものをいいます。漆器にイメージすることの多くは、その潤沢な表情への憧憬と、高級なもの、普段使いではなく特別な時に使う、扱いや後始末が面倒・・・などと、普段漆器をつかっている庶民のぼくからすれば、それらの誤解は、まるで怪奇ロマン伝説のように感じます。確かに漆器の持つ表情は塗装の中では、最上級のものといって間違いないと思います。と、同時に、性能でも最上級です。ただ、あくまでも、塗装であること、また他の工芸の器とは違い、素地は有機物な木で、そこに有機塗料の漆を塗った、有機的な器だと言う点です。
例えば洗うことなら、洗車と比べて考えていただければ、わかり安いでしょう。どんな高級車でも美しく保つために洗うのと同じに考えてください。漆器を洗うときは、使った後の汚れをのこさないという点で中性洗剤をつけてきちんと洗い、良く濯いでいでください。ただ、愛車の時に気を遣われるように、硬いものでは洗わない、こすらないと言うのは鉄則です。塗装面は柔らかいからです。でもこの有機的な柔らかいという事が、強い塗装の条件です。
漆器は「漆がはじめにありき」ではなく、「木の器がはじめにありき」なのです。木と言う素材が好きなぼくらが、木を丈夫に長く使えるために一番丈夫になる塗料だった漆という素材を選んだのです。軽くて断熱性のある木と、木の樹液である漆との相性は、抜群です。漆自体は、古くは縄文時代から、縄文土器の漏れ止めや装飾として使われていましたが(陶胎漆器と同じです)、器としては木との抜群の相性で出来た漆器が一番だったようです。漆は、木の呼吸を止めない塗料で、四季の変化で動く木地に柔らかいからこそ追従していけるので、ヒビが入ったり剥げたりはしにくい、丈夫な塗料なのです。
木は乾燥や過剰な熱には弱いですし、燃えます。中身が木だと言うことを忘れなければ、あまり神経質になる必要はありません。しかも、乾いた漆は熱にも強く、灰皿などのも使われ、タバコの直火でもたえられます。二つに鋳込んだお茶の釜などの接着に使われ、直火で湯を湧かすのにも問題なく耐えるほどです。こんな漆を塗った漆器なのですから、熱いとはいえどもおみそ汁を入れる椀として、木との相性の良いタッグの漆器は本領を発揮します。
口当たりの柔らで、手にしたときの漆器の肌合いは、他にはない心地良さの器です。
木という有機的な素材を、木との語りから最適の「木どり」して、木地轆轤で引き出す、鑿やカンナで削りだしたり、刳りだしたり、あるいは、指物と言う技術で組んで作り出した木の素地に、漆という天然の塗料を、塗っては研いでまた塗るという作業を何度も何度も繰り返して、あの滑らかな肌合いに仕上げて行く作り手の愛情溢れる手間が、長く飽きの来ない漆器を作り出しています。この素晴らしい木の素地に漆を塗装して作られたjapan(漆器)を、ぼくらの文化として誇りの思いながら、暖かいおみそ汁を暖かいまま頂きながら、漆器の語る声を聞き取りましょう。
f. 良い翻訳
使っていると素材の質感を楽しめて、心地の良い器は、良い翻訳と言って良いでしょう。
良い翻訳者である作り手が、素材の語りを上手く訳してぼくらに判りやすく伝えてくれているからです。
使うことで、作り手の作る楽しみを疑似体験できたり、高温の窯の中で変化する窯変をかいま見て、溶けた液体が固まって言ってしまう前にリズミカルに形作られる様や、丁寧に緊張と静寂感を塗り込められるような潤んだ質感・・・そこには作り手の優れた匠の技が、まさに翻訳家として際だつところが、ぼくらにも使うことで見えてきます。
甘庵
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テーマ:工芸 - ジャンル:学問・文化・芸術
今日の荻窪はとても暖かく、
これで桜も一気に開いていくことでしょう。
お話し会ネタはまだまだあるので、
細切れにしないでど~っと、長い。
なので、勇士・・・いえ、有志だけでよいので、
覗いてみたください。
*******************************
4.器と話す
作り手たちは翻訳家です。
自分が作り出すそれぞれの素材からの発信を、
ぼくらに分かりやすく、器と言う形で提供してくれます。
粘土が轆轤(ろくろ)の上であっと言う間に器になる様子や、
溶けたガラスを息で膨らまして作られたことや、
木からやっと手に入れた漆という樹液を、
何度も何度も塗り重ねたことなどを感じ取りながら、
器が作り出される様子や器の性質などを、器から聞きましょう。
a. 器が語ること
私たちの身の回りにある器は種類も、素材も豊富です。陶磁器、ガラス、漆器、プラスティックや、金属。作り方も、昔からの手仕事のから、コンピューターを使った仕事まで、多種多様に存在しています。
ここでお話するのは、手で作られた工芸に限ってのお話になります。作り手の力量で、器の語る言葉が豊富になったり、大きくなったり、あるいはわかりやすくなったりもします。それは、ぼくらに器の魅力や好さをアピールする事にもなるのですが、アピールが強く、あるいは華やかなものだけが、必ずしも良い器とは限らないものです。表面だけでなく、器からの語りをより正確にくみ取るためには少しだけ知識を持っていると、より聞き取りやすいと思います。そのための必要だと思う知識を少しお話いたします。
b. 素材の特性を知る
器はそれぞれの素材の持ち味を活かして作られています。それぞれの持つ性質や特性を知ると、より器の魅力ある語りを聞き取る事が出来ると思います。これは作り方にも、使い方にも、関わる事でもあるのですが、身近な器への知識は幅広く必ず役立つ知識になります。
大まかに性質から分類すると、
やきもの→陶器・・・・質感=荒い・ざっくり 特徴=素地の吸水性
せっ器・・・質感=硬い・緻密 特徴=素地は吸水性がない
磁器・・・・質感=滑らか・硬く緻密 特徴=素地は吸水性がなく透光性
ガラス →ソーダガラス・・・強く多目的 器から瓶や建築ガラスなど
鉛クリスタルガラス・・透明感があり、金属質の音色・・・脆い
硼圭酸ガラス・・・硬質ガラスとよばれ耐熱性がある=直火のポットなど
漆器 → 木胎漆器(もくたい)=ロクロで挽いた木の木地などに漆を塗ったもの
籃胎漆器(らんたい)=竹などで編んだ籠やざるに漆を塗ったもの
乾漆 (かんしつ)=紙や布などの芯に漆を塗り固めたもの=一閑張り
陶胎漆器(とうたい)=素焼きなどの焼き物に漆を塗ったもの
と、これらは材料や製法からの分類ですが、そのために変わる性質が、器を造りにも、
出来た器を使い、楽しむのにも必要なことです。これを器の語りとここでは表現しています。
c. やきもの声
まずは、一番身近で多く知識を持っているはずの、やきものからお話しましょう。材料は「粘土」と言われる耐火性のある粘りのある土を、手で形づくり、あるいは型に押し込み、更に、ロクロの技術を使い、形作ります。これは、普通粘土と言われる土の持つ可塑性が、形作ることを自由にしています。土ものと言われる陶器、せっ器は、これにあたります。石ものといわれる磁器は少し違い、石を細かく砕き、粉にしたものを基本の素材にして調整しています。粘土よりは挽きにくく、独特の技術がいります。ロクロという道具とそれを使いこなす技術があってこそ成り立ちます。土ものでも石ものでも、いずれにしても、可塑性のある粘土という状態でこそ、様々な形が作り出され、また、ロクロがあってこそ、量産されて、器として身近なものになりました。やきものは古くから使われていても、初めは無釉(釉薬のかからないもの)でしたが、時代と共に、様々な釉薬が開発導入されていき、江戸初期には現在見られるほとんどの作風や手法が確立されていました。当時は茶人などの限られた特権階級の人々のものだった器が、ご理解さえ頂ければ、身近で使えるという、恵まれた現状になっています。しかし、それに気づかずあるいは、器からの語りが聞こえにくいのか、限られた種類の、あるいは大きな声で語る器のみを使う方が多いのは残念です。とくに土ものは弱いとか、チップ(縁などがすこしだけ欠けてしまうこと)しやすいという、磁器に比べれば、素材の持つ堅さが少なく、色が変わって行く様を良しとしていただけないと、土ものの語りは心地の良い物とは言えないかもしれません。でもここに、侘び寂びといわれる和の美意識の代表が存在し、毎日の食卓でも楽しめる事だと、見直して戴きたいと強く思います。
一方磁器は、使うことで表情が変りにくいという良さをもっています。磁土は陶土より重いので、通常は薄目に仕上げるのが約束です。ところが陶土より挽きにくいために、薄く仕上げるの伝統的な技術が必要で、それがまた固定観念に結びつき、それが良い物の標準として定着し、それらは時代へ背景とともに、鋳込み(型物)、機械ロクロなどの量産と姿を変えていき、その量も多いために、磁器=量産をイメージする方もいたりします。それでも近年は、磁器の産地以外でも手の後を残した、温かみのある磁器を作る作り手が増えて来ているは、嬉しいことです。
やきものは、陶器でも磁器でも、作り方や、性質の多少の差や特徴がそれぞれにあっても、おおよそは粘土という形状の可塑性のあるもので作り出しています。そのために、やきものの器から聞こえる声は、まずこう語っています。
それが柔らかな瑞々しい肌合いの粘土をロクロという技術や、タタラという粘土の板にして型から姿を写したり、板を組み立てたりと、柔らかく自由になる性質を上手く使って、形が作られたことを想いながら、器を使い、お茶を飲んだり、料理を盛りつけたりして楽しみながら会話出来ると思っています。素材の粘土には、土ものほっくり焼けた陶器や、かちっとざっくりした土肌のせっ器や、光りにかざすと光りが通る滑らかな生地の磁器とか、器一つずつの違う顔つきがまた、楽しいものです。
d. 吹きガラスの声
ガラスも、やきものと同様に身近な器の素材です。器ばかりか、お酒や醤油といった液体や食品を詰める瓶や、建築や車や電車の窓ガラスや、電球や蛍光灯、プラスティックが多くなりましたがカメラや眼鏡のなど光学レンズ、断熱材などに使われるグラスファイバー、ファイバースコープや通信用ケーブルまで、広い範囲でつかわれています。
歴史も古く、紀元25世紀まではたどれるようです。初めは、装飾用かお守りか、今でいうトンボ玉のような小さく不透明のものでした。はじめに中空の器が出来るのは、コアガラスという方法で、粘土などの芯にガラスを巻いて形作り冷めた後に芯の粘土をかき出して作ります。その後紀元前後にローマンガラスという吹きガラスの原形が出来上がり、器を作るのに適した技法として、世界中に広がっていきました。
現代でのガラス工芸の器は、ほとんどこの吹きガラスの手法で作られています。酸化しにくくガラスに色をつけないステンレスのパイプに溶けたガラスを巻き取り、息を吹き込み膨らませて形作ります。装飾も様々な方法が好みで加えられます。
ガラスは人工の素材で、作り手の好みや意志が反映しやすく、色がある素地も、無色透明な素地も、作り手によって選ばれていて様々です。この素地自体に、まず、ガラスの語りがあります。ガラスは固まって固体なのですが、物理的にいう、液体が結晶して固まった固体ではなく、液体のまま結晶化しないで、液体の姿のまま固まっているためにそれぞれの色や濁りや澄んだ質感と見て取れます。形も含めてそれが熱く溶けた液体だったこと、そこに息を吹き込み巧みな技で形作られた事を、思い描いてみてください。
様々の好みの素地と、作り手の特徴のある形と相まって、様々なガラス器がつくられます。
やきものが、粘土で形作って、釉薬をかけて、苦難のともいうべき高い温度で焼かれて、姿を生み出すのとは異なり、水飴か蜂蜜のように高温で溶けたガラスを、それが固まっていってしまうまえの、わずかな時の間に、匠の技で、使い易さを満たした器の姿を生みだし、装飾も加えます。まさに熱い仕事なので、ホットワークといわれます。冷たい飲み物が入って結露したグラスが、熱く溶けたドロドロの液体から形作られたのことを想像しながら、飲み干すのも、不思議な感覚ではないでしょうか。滑らかで有機的な吹きガラスのフォルムを、眺め透かして、有機的な感触の掌(たなごころ)という、手に納まり心地を楽しみながら、グラスの語りに耳を澄ましてみてください。
e. 漆器の声
普通漆器は、ロクロで挽きだした木地に漆を塗り上げたものをいいます。漆器にイメージすることの多くは、その潤沢な表情への憧憬と、高級なもの、普段使いではなく特別な時に使う、扱いや後始末が面倒・・・などと、普段漆器をつかっている庶民のぼくからすれば、それらの誤解は、まるで怪奇ロマン伝説のように感じます。確かに漆器の持つ表情は塗装の中では、最上級のものといって間違いないと思います。と、同時に、性能でも最上級です。ただ、あくまでも、塗装であること、また他の工芸の器とは違い、素地は有機物な木で、そこに有機塗料の漆を塗った、有機的な器だと言う点です。
例えば洗うことなら、洗車と比べて考えていただければ、わかり安いでしょう。どんな高級車でも美しく保つために洗うのと同じに考えてください。漆器を洗うときは、使った後の汚れをのこさないという点で中性洗剤をつけてきちんと洗い、良く濯いでいでください。ただ、愛車の時に気を遣われるように、硬いものでは洗わない、こすらないと言うのは鉄則です。塗装面は柔らかいからです。でもこの有機的な柔らかいという事が、強い塗装の条件です。
漆器は「漆がはじめにありき」ではなく、「木の器がはじめにありき」なのです。木と言う素材が好きなぼくらが、木を丈夫に長く使えるために一番丈夫になる塗料だった漆という素材を選んだのです。軽くて断熱性のある木と、木の樹液である漆との相性は、抜群です。漆自体は、古くは縄文時代から、縄文土器の漏れ止めや装飾として使われていましたが(陶胎漆器と同じです)、器としては木との抜群の相性で出来た漆器が一番だったようです。漆は、木の呼吸を止めない塗料で、四季の変化で動く木地に柔らかいからこそ追従していけるので、ヒビが入ったり剥げたりはしにくい、丈夫な塗料なのです。
木は乾燥や過剰な熱には弱いですし、燃えます。中身が木だと言うことを忘れなければ、あまり神経質になる必要はありません。しかも、乾いた漆は熱にも強く、灰皿などのも使われ、タバコの直火でもたえられます。二つに鋳込んだお茶の釜などの接着に使われ、直火で湯を湧かすのにも問題なく耐えるほどです。こんな漆を塗った漆器なのですから、熱いとはいえどもおみそ汁を入れる椀として、木との相性の良いタッグの漆器は本領を発揮します。
口当たりの柔らで、手にしたときの漆器の肌合いは、他にはない心地良さの器です。
木という有機的な素材を、木との語りから最適の「木どり」して、木地轆轤で引き出す、鑿やカンナで削りだしたり、刳りだしたり、あるいは、指物と言う技術で組んで作り出した木の素地に、漆という天然の塗料を、塗っては研いでまた塗るという作業を何度も何度も繰り返して、あの滑らかな肌合いに仕上げて行く作り手の愛情溢れる手間が、長く飽きの来ない漆器を作り出しています。この素晴らしい木の素地に漆を塗装して作られたjapan(漆器)を、ぼくらの文化として誇りの思いながら、暖かいおみそ汁を暖かいまま頂きながら、漆器の語る声を聞き取りましょう。
f. 良い翻訳
使っていると素材の質感を楽しめて、心地の良い器は、良い翻訳と言って良いでしょう。
良い翻訳者である作り手が、素材の語りを上手く訳してぼくらに判りやすく伝えてくれているからです。
使うことで、作り手の作る楽しみを疑似体験できたり、高温の窯の中で変化する窯変をかいま見て、溶けた液体が固まって言ってしまう前にリズミカルに形作られる様や、丁寧に緊張と静寂感を塗り込められるような潤んだ質感・・・そこには作り手の優れた匠の技が、まさに翻訳家として際だつところが、ぼくらにも使うことで見えてきます。
甘庵
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おひな様は、幅広く作られていて、
大仰ではなく、ちょっとしたスペースに飾れる、
小振りで手頃な価格のものが結構あるのですが、
消費においてはどうも、女尊男卑的に感じるて、
案外と、端午の節句人形の頃合いのものが少なく感じます。
そこで、荻窪「銀花」のおすすめ逸品です。
岡山道楽かん工房の真鍋芳生さんの泥人形と張り子人形です。
2月の「四季をめでる人形 展 」でもご紹介しましたが、
時候的におひな様優先の感があったので、
ここで改めてご紹介します。

土人形 各1575円 高さ約6cm(のぼり旗や鯉のぼりのぞく)
桃太郎と、お供の雉、猿、犬や、鬼くん。

土人形 各1575円 高さ約6cm(のぼり旗や鯉のぼりのぞく)
金太郎と、熊さんや兎さん。

土人形虎 1575円 高さ約6cm 横6cm 縦6cm

土人形誕生 1575円 高さ約7cm
虎さんや、桃から生まれるところの桃太郎など、
表情もいろいろ。

張り子熊乗り金太郎 4200円 高さ約16cm(鯉のぼりのぞく)
張り子人形の熊に乗った金太郎はなかなか精悍なお顔です。
小さい鯉も張り子ですよ。

張り子鬼退治 4725円 高さ約15cm
こちらの「鬼退治」も張り子です。
立体的に組み合わせるところは、
さすが現代彫刻から続いてい自由な発想ですね。
さわやかで伸びやな作りは、
のびのび育つ子への素直な願いが現れていて、
気持ちのいい人形です。
甘庵
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お話し会はおおむね暇な時間に・・・。
でも、お話し会のために整理し直したネタが渦巻いているので、
お話し会の時間をよけて来てくださる常連さんや、
たまたま来たお客さまと、ちょっと話だすと、出るは出るは~。
すぐに2~30分や場合によっては小一時間。
捕まってしまった気の毒な常連さんやお客さまたちです。
まぁーお時間のある人は、
まだ、今日も明日も明後日ありますので、
大家の義太夫ではないけど、
空茶でお話しにおつきあいください。
はい、時間もいつでも結構ですよ。
床の間は要予約ですが、ゆったりしたベンチがあります。
(落語好きだけすこし微笑んでいるはず)
ただ、26日(月)1時からのYOMEさんを迎えての会は、
ご一報くださるようお願いいたします。
今日は先んじての催しの宣伝をしておきます。
東京の桜の満開は30日(金)ごろとか、
ちょうど当日から荻窪「銀花」では、
YOMEさんもよく使ってくれている器の
「鶴見宗次 美しき手あと 展」がはじまります。
常滑で作陶している鶴見さんの器は一度虜になると、
これがくせになるんです。

一目でわかるほど特徴的なのは、絵もなく、ざくざくした土肌の器です。
しかも、なんだかいびつ。
そうなんです。轆轤を使って挽きだすのではなく、
手ひねりと言われる、指でぷちゅぷちゅ摘み押さえて、
作りだしています。

その表情は奥深く、高い質感を見せています。
彫刻的仕上がりとテンションを持っています。
伊賀原土と常滑土で調合した杯土に、
灰をかけて、高い温度での焼成というシンプルだけど、
だからこそ魅力的な器は、硬質感があり、
石のように無機質と感じる方も多いようですが、
実はこれが、料理映えが抜群です。

そのあたりをYOMEさんはしっかりわかって頂いていて・・・・。
ぼくらに美味しく見せてくれます。
料理を盛ると、器の良さがわかりやすくなるんですよね。
やっぱり器の良さは、ぜひぜひ、手で触れて見て、
そして、使ってみてください。
甘庵
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今日は特に長いですが、
読んでくれる方だけで良いし、
ぼくの文章力ではうまく省くこともできないので、
そのままのせます。
週末を暇にしている人。
活字中毒で何でも活字ならっていう人。
マジに工芸をとらえている人。
そんな人いるかな?
まぁーとりあえず、続き物なので完結するまでは、
連載しま~す。
*******************************
3.器の使い勝手を楽しむ
器は何と言っても使わないとその真価がわかりません。
使い勝手が良いというのは、器は使うために作られたものなのですから、
考えて見れば当たり前です。
”見立てる””取り合わせる”などの先人の知恵や、
使って楽しむヒントをお話しましょう。
a. 器は使うもの
前2回のお話では、“器の色”と“器の形”について、お話しましたがどちらも、目からの情報収集でかなりの部分を理解出来るかもしれません。ところが今回のお話は、“絵に描いた餅”的なお話では今ひとつ判りにくいところかもしれません。何と言っても器は使って初めてその良さも問題点も、好き嫌いも納得体得出来るものだと思います。それは見て触れて使ってこそ理解出来ることが多いと思います。また、自分のお気に入りの器が、使うことで仕立てられていく器なら、器と長くつき合っていく時間も必要になります。汚れとは一線を画しているのですが、使うことで表情が変わる陶器やせっ器などを愛でる感性は、“侘び寂び“という、日本の文化の一つの特徴でもあります。
b. 使い方は自由
器は作られるときに、作り手によって使い方をある程度想定して作られます。ここで器の使い勝手の善し悪しは決まってしまうのですが・・。ただ、作り手の手を放れた後は、全権が使い手に委ねられてしまいます。そのために9回の裏逆転ホームランや、ロスタイム試合終了間際の逆転ゴールや、ファイナルラップ最終コーナーで抜いてのウィナーとか。ちょっと比喩がくどくなりましたが、いずれにしても、器は作り手の元から離れ、使われる方の采配次第。それは使われ方で生まれ変わることもあれば、使われないことで仮死状態にもなります。使うことで表情の変わるものなら更にその差は歴然です。
雑誌などで“多目的な器”“多目的碗”などという言葉が使われている時があります。今さら何をいう。器をいかにイメージを広げて使いこなすかは、器好きの醍醐味。と息巻きながらも、
“ソバチョコは多目的碗の代表ですね。そばつゆを入れるの以外にも、飲み物などの液体なら、お茶でも、大きめの茶托にスプーンを添えてコーヒーでも紅茶でも、スプーンがあるならデザートでも、手に持って食べた方が食べやすい料理を盛りつける小付に・・・。食いしん坊的発想を膨らませば切りがないですね。”
などと、お客さんに説明しているぼくです。
c. 見立てる
“多目的な器”という表現だと、“流用”“変わり”“代用”と、何にでも使ってしまおう、半ば元を取ろう的な考えで、それは確かに素敵な考えではあるのですが、ここでもう少しだけ気持ちだけでも貴族的に発想してイメージしてみましょう。ソバチョコに季節を感じる、花、実、葉、グッズでもなんでもいいのです。それを、そのまま飾るのではなく、シンプルなお盆やお敷き、ランチョンマットや、お気に入りの古布でもいいでしょう。ステージを作って“しつらえる”ことで、品や格を見いだすことで、ソバチョコを多目的に使うのではなく“小花器”として“見立て“ことになると思います。
使い方は自由です。自由だからこその、選択の幅は広くて、自分らしさを表現することも、楽しむことも、遊びの要素もたっぷり入れることも、全てが自由に出来ます。その分、統制や秩序も心がけましょう。器として品と格を保つように、清潔感を保つように。これが“見立て”基本ではないでしょうか。
見立ては侘び茶から発展しました。朝鮮半島の飯碗を茶碗に見立て(井戸茶碗など)、種籾の小壺を水指に(信楽水差しなど)、薬壺を茶入れに・・・。全て身近な道具や違う使い方のものを、見立てるという眼鏡を通し、選びだしたものばかりです。ただそれらの選択にはきちんとした選択のルールがあったと思います。その第一が、品と格だと思います。
d. 取り合わせる
”取り合わせ“は、“見立てる“と組み合わせて発想することで、さらに、器を楽しんで使う世界が、広がります。この”取り合わせ“、実はぼくらの血の中に潜在的にもっている感性の一つのようです。ついでに他に持ている感性をあげておきましょう。非対称系を好む。侘び寂びの感性。などです。むろん全ての方がそうであるわけではないでしょう。ただ、こう言った感性を持つ国が他にはあまりありません。この感覚が、どんどん欧米生活文化に浸食されつつあって少なくなりつつあるとしても、まだまだ私たちの感性の中に少なからず存在しています。これは日本という風土故なのか、つくづく不思議な感性だと思います。
話を戻します。
”取り合わせ“とは、たとえば、ぼくらが緑茶をお客さまに出すとすると、普通は客茶碗にお茶を入れ、茶托にのせてお出しします。これが日常的なお茶の出し方ですが、紅茶ならどうでしょう。ティカップ&ソーサーに出すのが、本来の形ですよね。これはいたって欧米的・・・・いえ、お茶の発信地であるのは中国。その中国でも、本来の形は、ティカップ&ソーサーでお茶を出すようです。日本に喫茶の習慣が入って来た時には、文人嗜好の喫茶という習慣で取り入れられました。この時点では確かに貴族的な世界のお茶として伝わり、より侘びた煎茶として発達していく段階で、完全に異素材の茶托と碗の取り合わせが確立していきました。ここには時間という経過もさることながら、ぼくらの血にある、取り合わせの好みが大きく働いたと思います。
現に同じ用に中国から伝わり、ティサロンとして貴族社会に浸透していった欧米の習慣では、カップ&ソーサーです。
欧米や他国では、好ましく思われる器の選択要素として、同素材で揃えるばかりか、同じ絵柄で全てを揃えるのが基本中の基本。これは日本でも存在しないわけではないのですが、それは、いわばトラッドな、“真行草”のなかでのいえば“真”の世界。中国でもそうなのですが、同時にちょっとくだけた“行”の世界や、鄙びた感のある“草”の世界を楽しむ事をしました。日本でも、明日の暮らしに困らないからこその貴族世界では、侘び寂びの世界の確立になっていきます。茶道でも煎茶道でも、そんな部分が多分に存在しますし、それらが少なからずバックボーンになって、日常の習慣や慣習に、懐石などの料理から広まり一般的な器までにおよんだと思います。
夏の盛りの頃に、ざっくりした焼きしめの器をしっかり水に浸して瑞々しい状態に料理を盛り、取り皿や、猪口として添える器は澄んで華奢な青磁。
全く逆の素材のこんな組み合わせの対比を、良しとするのはぼくらの感性に抵抗感がないからです。蛇足のようですが、注釈をすれば、無釉の器を水に浸して瑞々しい状態で出すのは、苔むす清流の岩を“見立て”てのことです。ザクザクした素材のせっ器と、かちっと仕上がった青磁とは“草”と“真”の対比。“取り合わせ”の楽しみです。この場合、取り合わせた“しつらえ“としては、“草”になりますね。異素材を組み合わせることで、崩したのですから、“真”を使っても“草”になります。
見立てるといっても、違った見立ての事例をもう一つ。
真冬に緑が少なくなったときに、冬の器に織部釉の緑を目にご馳走として選んだと聞きます。その緑を見立てる心を、ぼくはとても美しく感じます。
f. 使い方の知恵
使い勝手を楽しむには、楽しみ方のアイデアやイメージだけではなく、使い方の知恵も身につけておきましょう。それは、後々の後悔を無くすことや、使い方の約束にも叶うことにもなります。
器の素材を知る(浸透性、堅さ、脆さ、丈夫、耐熱性などです。)ことは、それぞれの器の持つ素材感を楽しむだけでなく、その素材を何時までも楽しめためにも、大切な知識だと思います。
例えば、ここに陶器と磁器の器があります。前回使ったの数ヶ月前の頃、その時に綺麗に洗ってしまったおきました。さて、ここに日常的な惣菜として、出来立てのごま油の香りたつキンピラゴボウを盛りつけましょう。色写りや分量が問題なければ、どちらに盛っても良いと思います。ただ、陶器の器は、綺麗でもゆったり水や湯にくぐらせましょう。それが粉引きや、白い土の明るい釉薬の器ならなおのことです。粉引きや、白い土の明るい釉薬の器に水や湯をくぐらせるのは、乾燥状態の陶器は、水分を器の素地の中にしみ込ませてしまいます。それが色や匂いがあったなら、なかなか抜けるものではありません。まぁー漂白材使えばいいといえばいいのですが、面倒ですし、残留物も若干心地よくないですよね。やはり盛りつけの配慮は同時に使い勝手を楽しむ知恵でもあります。無論磁器の器でも、暖かいものを暖かく出すのですから、湯煎して拭いてから盛りつけるゆとりがあれば、これはもう、器のためではなく、その気持ちや配慮が料理の味を引き立てるのではないでしょうか。
グラスでお湯割りを楽しむ時に、冬や器が冷えていたら、安全のために、湯わかしの湯や湯冷まし程度のお湯で、温めてから、ガンガンに湧いた湯ではなく、ポットからの湯で楽しむ程度か、さらにポットのお湯で温めたから、お湯割りを作られる優しさを持ってください。それは、ガラスと言う素材が熱膨張に弱いからです。造りやデザインで口と底の部分とに、特に厚みに差がある時には要注意です。温まり方が均等になりにくいので、器の部分による温度差×膨張係数だけ、伸び寸法に差が出てそれがストレスになります。お湯をついで一瞬起きるその温度差は、たたいた時の衝撃と同じようにグラスに中から力を加えます。運が悪いと割れることがないとはいえません。
熱膨張に関しての理屈では、こんな事も覚えておいてください。
陶器や磁器の器の多くが、表面を被う釉薬のガラス質と素地で成り立っています。窯の中で焼成されて素地が焼き物に施しておいた釉薬がガラス質に変わり、1000℃以上の温度から常温まで冷やされます。その時に膨張係数の同じ磁器は表面に貫入(かんにゅう)と言われるヘアクラックがはいりません。逆に陶器は素地とガラス質の釉薬の膨張係数が違うために、常温に覚める段階で縮みしろが違うために、無理がかかりそれが貫入となります。陶器が窯から出されて、しばらくは縮んで貫入が入る音が、夜などの静かなところで、“チン、チン”と鳴っているのを聞くことが良くあります。だんだん少なくなるようですが、100時間ほど鳴っていると、聞いたことがあります。
陶器やせっ器の釉薬のかかった器の多くには、貫入が入っています。磁器や釉薬のかかっていないせっ器には、原則的に貫入が入っていません。
この貫入が、使うときに、使って行くほどの変わるものと、変わらないものとの目安になる特徴でもあるので、覚えておいてください。
もう一つ、熱膨張のお話です。
陶器や磁器やせっ器の器は、特別でない限り、オーブンに入れても平気ですが、直火にかけると、まず割れます。電子レンジは、金彩銀彩の上絵のあるものでなければ、通常は問題ありませんが、電子レンジは分子間の水分を発熱させるので、柔らかな陶器などは、吸水性があって、素地ないの水分が熱膨張するので、あまり良くないかもしれません。レンジでチンするたび事に、時代の経過が早くなると言って、抹茶碗で冷えたご飯を温めるのに使って、早く侘びさせようとしているという話を聞きました。最近のレンジは回転し、ワットエイジも低く能率良くはたらくので、器への温度むらもなく、あまり問題はなくなっています。それでも、特別お気に入りの器は、オーブンでチーズを焦げ付かせたり、冷凍食品を入れてレンジでチンなどはしない方が優しいと思いますよ。
g. 使い勝手と善し悪し
勝手という言葉の意味には、台所や暮らしも含まれています。
それには、“道具や器”との関わりからそうなっていった部分も少しはあるのでしょうか。
その道具や器の使い勝手の善し悪しは、道具や器の善し悪しを意味するところが大きいのですが、それでも、ただただ性能や使い勝手だけの追求から出来た器では、寂しいものがあるのではないでしょうか。特に掃除のしやすさや、丈夫さだけの追求からだけでは、使い勝手や能率が上がっても、心のゆとりがなくなりすぎてしまうのではないでしょうか。
汚れにくい>洗いやすい>洗わなくていい
これでは料理も、簡単に>手間いらず>作らないほうがいい、
にもつながりかねません。
仕事中や学校へ通っているときのランチならまだしも、コンビニでお弁当や惣菜を買い、プラスチックのトレイのままで夕食を済ましてしまうことがあると聞いて愕然としています。
面倒がらずに、せめて器に移しかえて食べる事ぐらい出来たら良いのにと、強く願います。
それはぼくが器屋であることもありますが、日本の文化が育んできた工芸全般を揺るがす事だからです。使い勝手だけを追求するなら、全てをステンレスの器などで暮らせば、少なくても壊れず、錆びず・・・それでも洗う事が必要ですから、それもイヤなら使い捨てる紙やプラスティックの器になるのでしょう。
“スローライフ“や”ゆとりある暮らし“や”和食器”など枚挙にいとまがなく雑誌等に掲載されるものの、そこには暮らしとの距離感があって、それはドンドン広がっているようにさえ感じてしまいます。
“使い勝手の善し悪し“はこと、器に関しては、性能や丈夫さだけでは測れない、”使い勝手“があると思います。それは、使うルールや、使う心のゆとりや、使う事を楽しむ、といった心のありようが、大前提だと思います。それは、和の文化の一大要素でもあると信じて疑いません。
あえて暴言を吐くなら、すこしだけ悩ます使い勝手こそ、魅力ある器の要素かもしれません。
落とすと割れないガラスに魅力をかんじますか?
使っても全く変わらない粉引きは茶碗として選ばれたでしょうか?
長い時間する減る程使っても根来にならない碗に愛着を持てたでしょうか?
ほどほどの、良識と使う側の優しさがあってはじめて、器の使い勝手の善し悪しという判断はくだされます。そうでないなら器選びは、数値だけでわかり安いものであり、それは逆に、深みのある魅力の解釈をする楽しみを放棄することになります。それは取りも直さず、日本の文化の一つの崩壊でもあるでしょう。
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今日は入り口のドアを開けたままにして、
エアコンもかけていません。
日差しが直接はいらない荻窪「銀花」は、
座ってじっとしていたりすると少し寒いのですが少し我慢です。
入り口の近くのベンチに座っていると、
かすかに、わずかに、それも、
時折、ふわ~っと、春の香りが漂ってきます。
きっと、先日ご紹介した入り口の桜が満開になって、
その香りが漂ってきます。

それでも、エアコンをかけたり、ドアを閉めていたりというだけでなく、
見上げるゆとりがなければ、前を通っても花影も気づかず、
心の扉を開けていないと、香りも届きません。

全てがそうなのだと思います。
うつわ選びや、うつわとの出会いも、
難しい知識や情報は、裏付けでしかなく、
それは、作り手や店への信頼で十分に補われるはずです。
最優先される選択の必須項目は、
「好きな器」です。
それには、まずは眺めること、気になれば手に取り掌をたしかめること、
それしかないですね。
後は、何より使うこと。
器は使うことでしか、生きてこないし、
真価もわかりません。
その真価も、価値価格ではなく、
自分にとって好ましいか、
使いやすいか、美味しいかですね。

春の香りを感じとれるような心で、
好きな花の前で立ち止まって、
香りや姿を楽しめる。
そんな感じで、器を選んでもらえば、
きっと素敵な良い出会いがあると思います。
甘庵
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2.器の形を味わう その2
まだまだネタは有ります。
d.器の作り方 漆器
木を器の形にして、それに漆を塗ったものを漆器と言っています。木で作られる素地は、木をへぎ(繊維に沿って薄く割り剥がす方法)曲げて作る曲げもの、木をテープ状にして巻いて凹ませて器の形にする、固まりからノミなどで刳り形作るもの、桶など、そのほかにもありますが、一般的には、轆轤(ろくろ)挽きと言われる方法で、作りだされます。こけしを作っている画像などご覧になられたなら、ほぼ同じ方法です。
おおまかですが、椀を作る方法を参考にお話します。器にする木の固まりを轆轤に取り付けて、回転させて中、外を、カンナと呼ぶ先が刃物の金属の棒ので削りだします。取り付けた材料の木が、生きていたときの方向で、縦木(たてき)横木(よこぎ)と呼ばれています。
素地は十分な乾燥や寝かしを経て、塗りに入ります。下地から沢山の行程を繰り返して、何度の何度も塗り重ねます。その時に、乾いては研ぎ、研いでは塗り・・・と、幾重にも塗り上げていきます。
器では少ないのですが、棗、文箱など茶道や美術品などで、この後に蒔絵やろいろなどの装飾や仕上げもありますが、ここでは日常で使う器のお話を中心にしますので、省きます。
e.器の形を読む
使うための器の形は、使い勝手から要求されることが多いのですが、次回の使い勝手のお話に重なることも多いので多くは先にゆずりますが、ここでは作る側から、それらの要求に答えるときに基本となる、素材の特性や、作り方から構成されていく様子をお話します。
e.と次のf.では、具体的な例をグラスとしてお話してみましょう。
グラスは文字通りガラスで作られたもので、ここでは吹きガラスのグラスのお話をします。吹きガラスは、前期のガラスのお話で詳しくしましたが、溶けた液体が粘性を帯びて結晶化せずに固まる不思議な特性をもつ材料なので、作り出すことができます。
モール(本来の意はヒダです)と言われる方法は、拭き竿に巻き取ったガラスを、均一な金物などの型に吹き込んで内圧をかけて、グラスの表面に溝をつくりだし、縦あるいは斜めに巻き込まれたこの凸凹の溝を器に走らせて作りあげる装飾の事を言います。たとえば5モールというのは5本に溝が器のそこから放射状に広がっています。モールは、液体を入れたところが液体の屈折率の関係で、モールが消えたり、見えにくくなります。ガラスの特性から出来る作り方と装飾方法です。またこの溝が滑り止めになります。グラスの裾が小さく、口のほうにだんだん開いて行く形は、やはり持ち易さからは自然な形でしょう。それでも、女性の手では限界があります。そこで持つ部分を縦につけたのが、ステム(脚)だと考えても良いと思います。ワイングラスだけでなく、ピルスナー、ゴブレットなどにも、ステム付きは良くある形です。飴細工のようにブローした本体(カップ)に脚を付け足して、更にそこになるベースの部分を付け足して完成させ、切り放してカップの口を開いて、形を整えます。ピルスナーのカップの部分が細長いのは、ビールの発砲を十分に楽しめるためです。
使う用途や好みに合わせて、作り手も使い勝手を研究し、それぞれが手がけている素材で何ができるか、素材らしさを引き出し、それらを統合構成して形がきまります。
f. 器の形を選ぶ
たくさんある器の中から、自分の器と選び出す指針に、“形”は重要な要素でしょう。
そこで、僭越ながらも、ぼく個人の選択を例にとってお話します。もちろん選択に正解あるいは不正解はありません。選んだ器の出番が多く、日常に使われれば、それでもう立派な選択だといえますから。
ここでも例をグラスとします。ぼくらがコップといってしまいがちな、身近なグラスは多目的で、水や麦茶やミルクを飲んだり、ビールを呑んだり、焼酎○○○割りを呑んだり、色々使うことが多いでしょう。でも、それだと、お皿も同じ。カレーも、サンマも、パスタも、ハンバーグも、お刺身も、お新香も・・・・。分量さえ都合がつけば確かに使い回しができます。
でも、心と懐にゆとりがあれば、ぼくなら、もう少し自分の暮らしや嗜好メニューに絞って使えるようにグラスや、皿を選びます。再びグラスにもどって、ぼくの嗜好で選ぶとしたらと、考えてみました。
アルコールの中で好んで呑むのは、少量ですがウイスキーです。ウイスキーを飲むなら重くて重厚な掌を楽しめるロックグラスが一般てきですが・・・・、ぼくは小振りな馬上杯のようなステムのあるグラスを選んでいます。たくさん呑む方ではないですし、香りや色を楽しむために、特別ないろや文様は入っていない、シンプルで小振りなモルトグラスです。
ワインやビール用には、マイグラスとして大きめのカップにステムのあるゴブレットです。多用のグラスや杯、ワイングラスもありますが、まずほとんどこれで用はたりでしまっています。
こんな風に形は、見て美しいこと好みのことも大切ですが、同じくらいに自分に使いやすいこと、嗜好にあわせることでも、選ぶ要素になりますね。自分の生活や嗜好を意識し、より楽しむために器の力も借りる事が出来ます。
縁があり額縁になったお皿は、しまう面積の割りに入りませんが、盛りつけをしたときに、ゆとりのある美味しそうなお皿・・・いえ、料理になります。どちらが正しく間違いと言うのではなく、それぞれの形を楽しむためにも、理解と認識があれば十分です。
g.器の部位の名前
日本語での器の部位の名称には、人の身体の部位と同じ名称が多く使われます。
それは、きっと自分の器としての愛着から来ているのではないかと、勝手に想像しています。
急須や徳利で注ぎ出す部分を、どちらも「口」と呼びます。
湯呑み、飯碗、鉢などでは、端の部分を「口」とか「口縁」などと表現します。
このように使われる部位の名称には、「首=頸」「腰」「手」「肩」「尻」「足」などがあり、それらを使うときには、持ち主の器への親しみが込められて呼ばれることが多いようです。
他にも、器らしい名称があるので、いくつかご紹介しておきます。
碗や鉢などの器の、ものが入る部分あるいは、その底を「見込み」といいます。そこには動詞から生まれた共通性と感じます。「見る」「込む=中に入る」が合わさったのでしょう。普通に「見込み」を使うときの「見込みのあるやつ」とかの意味も、器としての形のわりに、見込み(容積=キャパシティ)がある器は、器として無駄がなく、結果手持ちも軽く、良しとと言う意味で使います。人柄としても同じ意味で「見込みのあるやつ=中身が入る=有望」とつかわれたのでしょう。「器が大きい」も似た言葉ですね。部位ではありませんが、深い形の向付けを「のぞき」と言います。
部位に戻ると、茶碗などでは重要な鑑賞ポイントになる「高台」は、使うときの安定性や、古い時代に重ねて焼成するときや、釉薬を施すときの利便性から発生なのですが、器の形や造形には欠かせないものとなっています。
自然界の言葉を当てることもあります。高低差のある口作りの茶碗の口縁を「峰」と言いいます。
部位ではなく、器の形になりますが、低めのポッテリした壺や花器の形を「蹲る=うずくまる」といいます。織部茶碗が有名ですが、大きく歪んだ形の碗を「沓茶碗=くつちゃわん」といいますが、これは、平安貴族の蹴鞠するときの沓の形のようなのでそう言われるそうです。このように名称になった元が、形からイメージを広げたものが多くあります。
そんな気持ちで、みなさんもs自分のお気に入りの器に愛称をつけるもの、楽しい事かと思います。
*部位や形の名称には更に細かく、茶道や煎茶道や華道独特の名称もあります。ここでは、それらの中から比較的一般使われるもご紹介しました。
甘庵
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今日もYOMEさんを迎えてのお話し会でした。
先日はソフトで滑らかな口当たりのロールケーキ、
今日はパリッと香ばしシュークリームに甘いイチゴが添えてありました。
美味しかった~。

お話しを伺っていて、
いろいろと、勉強になりました。
YOMEさんの器選びのアプローチや、
同じ器でいろいろ見せてくれる盛りつけの秘密は・・・。
教えません。
っていうか、これって言うテクニックではないようですよ。
強いて言えば器を凄く可愛がってくださっている。
平たく言うと器好き。
ごめんなさいYOMEさん。
銀花で気に入った器を持って帰ってから、
使った後も、しばらくはテーブルに出しっぱなしにして、
眺め尽くすみたいにしてくれているようです。
「この角度も美人」
「こっちから見ても可愛い」
「ここも素敵」なんて、
思いながら眺めてくれているそうです。
器好きは、ぼくも同じなので、
なんだかよ~くわかります。
まぁーかといって料理の腕も、盛りつけも、
だいぶ違うので、結果はついていきませんが、
器を楽しむのは、ぼくも基本は同じだな~って。
対してお客様のお話し伺っていると、
とっても真面目に取り組んでいただいていて・・・。
「いろいろ使えるように」
「何からそろえるのがいいのか」と、
決まった定石を知りたくて、
とっても熱心に勉強していらしゃる様子。
感心してしまいます。
YOMEさんをぼくと一緒にしてしまうと、
申し分けないのですが、
普段優柔不断のぼくなのですが、
器選びには迷ったことがありません。
他の方がどうとか、こういう器がいい器とかより、
これが好き。
これが美味しそう。
なんていう、実にストレートで、裏付けの怪しい選び方です。
いわば直感。
それで、後悔したことなんて一度もないですね。
たぶんYOMEさんもそうだと思います。
このような、あまり安直な選択方法では、
悩まれてしまう方への的確なアドバイスが出来ませんね。
いかに、あまり悩まずに、使いたくなる、
必ず使える、好きな器を手に入れれば良いことを、
もっと上手くお伝えできるようにしていけるようにしないといけないな。
勉強になりました。
甘庵
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「暑さ寒さも彼岸まで」と耳にして育った世代ですが、
このところの寒の戻りもなくなり、
穏やかな日差しの荻窪です。
それにしても昨日の東京のソメイヨシノの開花は・・・やはり早いですね。
修正されて少し先延ばしされたとはいて、
年々少しずつ早くなっていているようですね。
入学の時に舞い散る桜の絵柄は、卒業の時に変わりそうですね。
今日はオフです。
祝日にお休みが重なるのは久々です。
車の流れや人の出がそういえば少し多いかも。
図書館へ出かけたり、買い物の予定もあるますが、
時間をとって公園へ桜の状況を見に行ってみます。
善福寺川沿いの公園には、ぼくと同じように桜の様子見らしい、
たくさんの散策の人が出ていました。
結果はこんな感じでした。

開花宣言されたソメイヨシノは、
一部がほころびだしていたものの、おおかたがもう一息でした。

それでも日当たりのせいか、
散歩中見た何十本のうちの一本だけが一本が見頃でした。
その木の周りには花見の方たちが集まっていましたね。


今がみごろだったのは、彼岸桜。
華やかな色の花影にメジロが十数羽群れていました。

暖かい日差しの中、運動不足解消にと、
少し早歩きしていたら、汗ばんできました。
気持ちの良い春日のオフでした。
甘庵
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今日は
YOMEさんがゲストに来て頂いての、お話し会。
お知らせがおくれたのですが、
それでも、早速駆けつけてくれたお客様がいて、
YOMEさんの作ってくださったケーキなど頂きながら、
長閑に楽しく、進めました。

一年9ヶ月間毎日美味しいレシピを紹介しているYOMEさんに、
いろいろ聞いて見ました。
「毎日違うレシピはいつ決まるの?」
「初めのうちは計画して、スーパー行って・・・でも今は、
食べたいものを作ったり、お買い物行けないこともあるので・・・」
自然に作ったYOMEさんちの夕ご飯を覗いているっていう感じのようです。
だから、暖かくて、ほっとするレシピが、
画像からもじわーって伝わってくるんですね。

他にも器の選びからとか・・・いろいろ伺いました。
でもあまり書いちゃうと、これから来てくださる方には、
つまらなくなっちゃうと思うので、終了してからお話しします。

明日のお休みをはさんで、22日(木)1時からと、
来週26日(月)1時からの2回、
またYOMEさんが来てくれます。
まだ、席はあります。今のうちにご予約入れてください。
明日は銀花がお休みなので、メールでお問い合せください。
甘庵
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またまた長くてすみません。
器に対しての、ぼくの見方考え方からの文章ですので、
人によって重いが違うことも多々あると思います。
一つの考え方として、参考にしていただけたらと思っています。
*******************************
2.器の形を味わう
やきもの、ガラス、漆器の器の作り方から、
素材の特徴や種類をお話します。
実際の器を手で持ち、触れて、眺めて、
器のフォルムをしっかり受け取り味わっていただきます。
a. 器の形
器の形は、使う目的使い勝手から発生します。
それがやがて、ゆとりや文化の反映とともに、流行や好みや宗教感までが形、デザイン、意匠に占める割合が大きくなっていきました。
更に作り手の意識無意識に関わらず、器を作り出す素材の持つそれぞれの質感を、常に意識し内包していきました。それは使い手や鑑賞者にとっては、彫刻を楽しむ感覚に近いと私は考えています。
そのために、器の形、使い勝手、文化や歴史、素材ごとの作られ方や特性を知っていた方が、器の形を味わうヒントになり、器への理解も深まる一つの糸口になるとおもいます。
b. 器の作り方 やきもの
「やきもの」は、器のなかでは一番身近ですし、何らかの形で行程を目にしたり、あるいは体験した方も多くいらして、おおよその流れはご存じかも知れませんが、復習もかねて説明しておきます。
やきものも他の工芸品と一緒で、沢山の手間と多くの行程を経て出来上がります。一つの「やきもの」はおおよそ次のながれで出来上がります。
杯土または胎土といわれる素地土を作る。?形を作る。?乾燥する。(?素焼きをする)?(下絵を付ける。)?(調合した釉薬をかける。)?本焼きをする。(?上絵を付ける。?焼成をする。) ( )は省いたり行わないやきものもあります。
【杯土】陶器やせっ器などは、単一の原土やいくつかの原土で、杯土が作られることも多いのですが、ほとんどの磁器土や量産される杯土は作りやすさや、耐火性や、色合いを良くするために、さまざまな原料を調合して作ります。原土から杯土にするのに大きく分けて二つの方法があります。原土を臼でつき、篩にかけてそのまま水で練る「はたき土、ふるい土」。粉砕した原土を水にとかし、漉したあとに水分を取り除く「水漉土、漉し土」があります。
【成形】杯土を器の形にします。作り方には、手だけで作る「手びねり」。糸などで切った板状の杯土組み立てる「たたら作り」。轆轤を使う「轆轤作り」。木型、土型、石膏型を使う「型作り」などがあります。
【乾燥】成形された杯土の器を、素焼きや次の作業がしやすいように、十分に乾燥する。
【素焼き】下絵を描いたり、釉薬を掛けたり、窯詰めの作業をしやすくするためと、歩留まり(ぶどまり/完成率のこと)を良くするために行います。普通800℃ぐらいで焼成します。
【下絵】呉須で描く染め付けや、弁柄や鬼板で描く鉄絵や、酸化銅で描く釉裏紅などを釉薬の下に施す。
【釉薬を調合し施釉する】長石、石灰、土灰(雑木の灰)、藁灰などで調合し、色を加えたい時には酸化金属やそれらを含んだ土や鉱石を混ぜ合わせる。これを細かく摩り水でといて器に掛けます。浸して掛けるのが多く、他には柄杓で流し掛けたり、刷毛で塗り掛けたり、霧吹きなどで吹き掛けりする。
【本焼き】陶器、せっ器、磁器は1150~1300℃前後で焼成されます。やきものにより、酸化炎と還元炎が選ばれて焼成されて、釉薬の発色や調子を整えられます。窯には薪を使う穴窯や登り窯、ガス窯(プロパン、ブタン)、灯油窯、電気窯などが使われています。
【上絵付け、錦窯】本焼きをした器に赤絵、上絵などで絵を描き、専用の錦窯で700~800℃前後で発色の高い温度から色ごとに焼成します。五色の色絵のときは5回焚かれるときもあります。
簡単な説明ですが、これだけの行程を経て「やきもの」は出来上がります。種類によってはすべての工程を行わないのですが、作り手の工夫によりさらに様々な手法が加えられ複雑な工程になることもあります。一方、原土や杯土、釉薬の原料などは、流通機関の発達により各地から入手出来るようになりました。分業で発展した工程も、機械力に変えることで作り手の仕事の巾が広がりました。
c. 器の作り方 ガラス
ガラスの器にもいくつかの作り方だありますが、量産品として作るのではなく、工芸品として作られる時にはそのほとんどが、吹きガラス(ブロー)という方法でつくられます。
ガラスは調合の素材によって、鉛クリスタルガラス、石英ガラス、カリガラス、などがつくられます。それらは用途に応じて使い分けられます。通常の私たちの身の回りに多い器や、瓶や窓などに使う板ガラスは、ソーダガラス(ソーダ石化ガラス)です。ソーダを入れることで主成分の珪砂を溶かしやすくして作られます。
ガラスは天然では存在しないので、材料を調合してるつぼに入れて1400度前後の高温で熔解してはじめて、ガラスになります。この溶けて水飴状態のガラスを、竿と呼ばれるステンレスのパイプに巻き取って、吹いて作る方法を吹きガラスといいます。
なかでも、宙吹きガラスは型に入れないで、息で膨らませ、形を作り出していきます。
こうして作るのは皆さん何となくおわかりになられると思います。テレビなどでも見たことがあるのではないでしょうか。膨らんだゴム風船のように、まんまるい型したものを、見たことがお有りになるでしょう。あの丸い形から一体どうやってグラスやうつわの形になっていくか・・と言うと・・・、
最近はあまり見かけませんが、縁日などでやっていた、飴細工をご存じですか?大変にアバウトな言い方ですが、あの感じにかなり近いんです。
飴を柔らかくして、つまんでのばしたり、色の飴を付けたり、ねじったり、広げたり。時には吹きガラスと同じように吹いて膨らましたりもしました。
飴だけでなく、粘る物で形を作ろうとすることは、吹きガラスでも大概できます。
ただし、何しろ熱いものですから、直にはさわれない。そこで、様々な手に変わる道具を工夫して、形を作りだしていきます。それでも、何より、感と技が基本。それを、身体で覚えるのに、作り手たちはそれぞれの努力をしていますね。それで、細部の作り方は様々だし、内緒の部分もあるようです。
やきものの轆轤(ろくろ)は、器を立てた状態にして作りますよね。遠心力で広がった物を竪に延ばしていきます。ガラスは横軸の轆轤(ろくろ)なんです。水飴や蜂蜜を棒に付けたときに、無意識に落ちないように回します。同じように、パイプの先に溶けたガラスの生地を巻き取っって、パイプを指先で回し、下を向いたり上を向いたりして、片寄らないように回しながら重力を利用して、息で膨らませいきながら、必要な膨らみを、初めに作ります。
その後で、先端に膨らんだガラスのついたパイプを、レールのように2本の平行なフレームの上に横におき、手のひらから肘の手前までを使って、パイプを前に後ろに転がして、反転する回転を繰り返します。その時に、ガラスを押さえつけたり、のばしていきます。
コップなどなら、吹いた風船の先端側が底なので、底の部分を、目指す形に作り上げます。
そこに、新しいパイプをつけて、吹いたパイプの側をコップの大きさに合わせて、程良いところで切り落としてしまいます。今度は底に付けたパイプを持ち、開いた口を火であぶり、
柔らかくして、整え形をつくっていきます。
ワイングラスなど、ステム(脚)がある時は、
底の側に、ステムのパーツを付けていって形作り、
後は、コップと同じに、新しいパイプをつけて口を作ります。
甘庵
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お話し会用ネタ の続きです。
Sunnyさんからの指摘にもあったように、
なるべくわかりやすくと思いながらも、
器好きなことからすれば、どうでもいいことなのに長いので、
ちょっと読むのが面倒くさくなると思います。
興味有る方だけ・・・・それも、斜め読みで十分ですが、
その1とタイトルしてしまったので、
一応続けま~す。
今日は器の色を読むの後編です。
c. ガラスの色
【ガラスの色の元も金属】
ガラスの色の出し方も、理屈はやきものの釉薬と同じです。簡単に書いてみます。
化学の時間を思い出すような、言葉が出て来ますが。
化学が苦手だった人も、あまり難しく考えずに、
料理を作るときに、野菜、肉、魚などを素材に、
塩、醤油、酒、みりんが調味料として使われるぐらいに、
思って、聞いてみて下さい。
それに、料理と違って、
取りあえずは、直ぐに作る機会もないでしょうから、
気楽にどうぞ。
たとえば、ラムネ瓶のグリーン色の元は鉄なんですよ。酸化鉄という、ペンキを塗るときに錆止めにも使う、赤い粉です。
日本では古くから、ベンガラと言われて、建物の防腐をかねた塗料として使われています。
「ベンガラ格子」って聞いたことがありませんか。
そのベンガラです。
ガラスの元になる成分はシリカ(SiO2)です。普通は原料として珪砂から構成する事が多いようです。
世の中に一番多い金属は、鉄です。
ガラスの原料の珪砂は、天然のものですから、やはり、どこにでもある鉄分が微妙に入っています。そのため、珪砂を原料にして、ごく普通に作る板ガラスなどを、
よく見ていただくとわかると思います。
板ガラスを、透明だを思われている皆さんが多いかもしれませんが、
実は薄い緑なんですよ。
棚板などに使っているガラスの切り口を、見たことはありませんか?
緑色をしています。
これは、鉄を特に加えなくても、天然の材料の珪砂のなかに、微妙に入っている鉄で、
この色になっているんです。
これに、さらに酸化鉄をくわえることで、緑色が濃くなります。
これがラムネ瓶です。
ビール瓶などの茶色はもっと、たくさんの酸化鉄を入れ、
還元炎をいう、酸素の少ない炎の中で作り出します。
さらに、硫黄などをくわえることで、茶色を濃くしたり安定させるそうです。
普通色の発色は金属が酸化したり、還元して色を発色します。
ちょっと変わりもので金赤と言われる赤いガラスがあります。
これはまさに、金で赤い色を出すのですが、
金は酸化しないので、そのままでは、ガラスに溶け込まないので、
金を溶かす王水という酸に溶かしたものを、
加えて作るそうです。
このように、ガラスを着色するにも、金属を使います。
大体が酸化金属にしたり、水酸化金属にしたものを、
調味料のように、材料に入れることと、
焼き加減のように、炎の状態を操作することで、
様々な色を出しています。
料理と同じで、理屈や方法は同じでも、
個性や感性から、ずいぶんと味付けの違う、
作り手それぞれの顔が出来てきます。
それもまた、楽しいことですよね。
d. 漆器の色
漆器もやきものやガラスと同じように金属を色の元に使う事が多いですが、
黒い漆を作る方法の一つである鉄を第一鉄化して黒くする熱反応以外は、顔料として金属を漆に錬り込んで、色漆を作ることが多いでしょう。
代表的な朱漆は、作り手の好みで朱(硫化水銀)やベンガラ(酸化鉄)を調合して、漆に練りこんで色漆にしています。朱の主な成分は硫化水銀という恐ろしそうな金属ですが、漆の中で固まると毒性がほとんど滲み出ないようです。漆の場合は、このように、顔料の金属を練り込むという形で色漆を作り、それを塗布する方法で作りだしています。
近年、朱の変わりに、赤いプラスティックを粉にした顔料を売っていると聞いています。安価なのと、金属より軽いということがあるようですが・・・さて、どんなものでしょう。
e. 時代の色
やきものでも、ガラスでも創始期には、目的にあった形を作るだけで手一杯だったのが、新しい発見による、手法や技術の進歩や材料の変遷で、色が豊富に出来るようになっていきます。また時代事ごとの好みなどから、器の色を変えていったようです。
たとえばやきものは、世界で一番古いと言われる縄文式土器は、祭器のような特別なものには漆で彩色がされていたようですが、そのほとんどが、火に焼けた土の色そのもので、あえて言うなら、土と炎の勝負で出来た色合いです。これは、後の弥生式土器、その後の須恵器、無釉時代の六古窯まで続き、現在も備前(伊部)などはその流れのままの土味を活かした色です。
その後、平安に唐三彩と同じ方法で作られた奈良三彩が短い間存在しますが、鉛釉の弱さから、忘れられて行きます。平安末になってやっと自然釉から、青磁の一歩手前まで出来てきます。
このあたりから釉薬が施されて行くことで、やきもの色は時間と共に豊富になり、要望にあわせて、黒、黄色、赤、茶、緑、そして白と生まれて行きます。また同じ色でも、澄んで明るくなっていくのは、常に時代の要望であり技術の裏付けから、徐々にそうなっていきました。
近世になって飛躍的に進歩した技術の裏付けと、暮らし方の変化は、器への傾向も激しく変わっています。日本中が元気だったバブル期には、重くて土っぽいものへの回帰が強く感じられ、その後の不況と共に、軽くて明るいものが好まれだして、更に近年は、使い回しが効くという錦の御旗を掲げて、無味乾燥な白いキャストのデザイン器と決められた手本のコーディネイトで、安心して、使い方を手に入れると考えるのも、一つの流れのようです。
f. 曖昧な色合い うつろう色
日本の色の文化は非常に繊細でいて、自然界から写し取った色合いを愛でて楽しみという伝統があります。女性たちの着物の変遷は十二単の時代より綿々と繋がる、取り合わせ、グラデーション、補色とあらゆる方法を編み出し、実践してきました。それは器と料理の関係においても同じです。また、陶器のように使って行くことで時の分だけ変わり行く器などは、その変化を楽しむと言う伝統も、侘び寂の文化として、確立されていきました。
先に使い回しの効くキャストの白い器の話をしましたが、そのほとんどが変わることのない素材と質感であることを由とするのに対して、同じ白い器での粉引きなどは、白い釉薬ではなく透明な釉薬と、素地との間に白い化粧土を施すことで、粉をひいたような白さと言う意味合いでそう呼ばれたそうですが、その構造ゆえに使う事で表情や色合いが変わっていきます。その白と言いきれない白さの曖昧の色合いを愛で、使うことで侘びていってしまう白を、うつろう色合いの白をいとおしむ、侘び寂の好みも日本の文化と知っておいてください。
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親しい人との会話で、「何呑む?」と聞かれています。
この問いかけに、皆さんはどんなイメージがひろがりましたか?
カフェでお茶する場面?
ファミレスのドリンクバーの前で?
訪ねてきた人への質問?
居酒屋でおしぼり手にしながら?
行きつけのバーで?
![sprig]14.jpg](https://blog-imgs-16-origin.fc2.com/u/t/u/utuwaya/sprig]14.jpg)
お茶やドリンクやお酒の種類を選ぶイメージの方が多いでしょうね。

同じ感覚で、カップや湯呑みやぐい呑みなどや、
注ぐ急須やポット、徳利や片口などの、
器を選ぶ楽しみも想像したなら、
あなたは相当な器好きというか、
世間からみると・・・ぼくのように特殊かも。

そう・・・ぼくはだと・・・、
何呑む?と一緒に。
セレクトする側なら、
答えに反応する器は何にする?という楽しみが着いてきます。

住空間から食器棚なの大きさが制限され、
切りなく欲しい器に懐具合もそうそうは着いてはいきませんから、
この背景には、何を選び買おうという、
設問も着いて来ます。

何呑む?から、
器を手に入れ使うまでのイメージを楽しめる、
妄想癖のぼくです。

甘庵
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桜でお出迎え
風はまだ冷たいですが、今日はよく晴れました。
番茶を飲みながら、お茶菓子かじり、
甘庵と器四方山話をするお話し会に、
是非お出かけください。

その折りには入り口の、階段5段を上るまえに、
一度上を眺めてください。
ちょうど見頃の桜がお出迎えさせてくれます。

お知らせが遅くなりましたが、
「よめ膳@YOMEカフェ」のYOMEさんをゲストに迎えての、
お話し会の日程も遅くなりましたが決まりました。
20日(火)と、22日(木)、26日(月)の三日。
それぞれ午後1時から1時間ほど、
YOMEさんブログならではの、
器のセレクトや盛りつけの魅力の謎に、
甘庵が迫って見ようかと・・・。
YOMEさんが手作りのお菓子を持って来てくれます。
加えて狭い銀花ですので、人数に限りがありますので、
ご参加頂ける方は、是非ご一報頂けると嬉しいのです。
よろしくお願いいたします。
mail: ginka@kan-an.com
TEL: 03-3393-5091
まで、今すぐご連絡を!お待ちしております。
甘庵
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前にある公開講座ようにまとめたものから、
お話し会のネタの大筋にしようと、
引きずり出してきて、自分の中で読み直して見ました。
お出かけいただけなくて、
ちょっと長い文章でも平気という方は、
読んでみてください。
面倒な方は、斜め読みしてください。
さて、テーマのくくりとして、
「器の○○を○○する」
というふうに、器のとらえる動詞を付けた題名にして、
6つのテーマでまとめてあります。
長いので、一つのテーマを半分ずつご紹介していきます。
1.器の色を読む
やきもの、ガラス、漆器などの器の、
色の出し方から、色を求めた歴史変遷や、
まだまだ流行の白い器の話まで、
器の色から何を読みとれるかをお話します。
a. 器の色
やきもの・ガラス・漆器などの工芸として作られる器のほとんどが、使われることで受ける熱や摩耗や水やお湯や洗剤や乾燥などに負けることなく、色を保っていると思います。もちろん表面の傷や素地に、使うことで飲み物や食べ物の汁が入る事で鈍くなることはあるでしょう。それでも人の歴史の中に残って行くほどの時間に、耐えていると思います。それは、色の元が金属の発色だからです。染料や有機的な素材ではなく、無機物の化合物として成り立っているので安定度が高く、数百年後にも、鑑賞するだけでなく使うことも出来ています。

b. やきものの色
いくつかの代表的なやきものを例にとって、発色の理屈や方法をお話しましょう。
【やきものの色は金属】
やきものは、釉薬も、絵付けも、素地、土も、みんな金属で色が出ています。
そこには無機の化学の理屈がちゃんと見えるのですが、それをあまり見つめると、
頭が痛くなる方もいらしゃるかもしれないので、現象としてだけお話ししますので、
気楽に読んで下さい。
金属でやきものの色が出るときに、その金属が錆びた状態の、酸化状態や生のままの還元状態で発色します。ここでは、身近な金属の鉄と銅を例に少しだけお話をします。
銅が錆びると緑色の結晶が出ます。見たことがおありになる方が多いでしょう。
緑青(ろくしょう)『注1』といわれるものです。
また「あか」と言われるように、赤色を感じる金属でもあります。
釉薬の中に銅を入れて酸素の多い炎(酸化炎)のなかで焼くと、銅が錆びた状態の色、緑になります。織部の緑釉などがそうです。

同じ釉薬でも、酸素のすくない炎(還元炎)のなかで焼くと、
銅の元の色、赤が発色します。釉裏紅(ゆうりこう)という赤い下絵は、酸化銅などを絵の具にして釉薬の下に絵を施します。
辰砂(しんしゃ)という赤い釉薬なども銅の赤い発色させます。
鉄はどこにでも目にするもっとも身近な金属。そして、自然の状態でも一番多い金属です。鉄は化学的に酸素と結ぶ手を二つ持っていて、そのために、二つの錆び方をします。
少し酸素と手を繋いだ形の第一酸化鉄。これは、フライパンなどの黒い色の、黒錆びです。もう一つ、しっかり錆びた第二酸化鉄。これは、真っ赤です。ペンキの下塗りなどに使われる、ベンガラがそうです。雨ざらしの鉄板が赤く錆びたのもそうです。
このように二つの錆び方をする鉄は、やきものの釉薬中などで、いろいろな色をだします。黒、茶、緑、黄土色、黄色、赤などです。
たとえば、青磁の青は、釉薬のなかに鉄が少し含まれて、酸素の少ない炎(還元炎)のなかで、焼かれます。同じような釉薬でも、酸素の多い炎(酸化炎)のなかだと、黄色くなります。黄瀬戸や黄伊羅保(きいらぼ)などが、この理屈で黄色を出しています。
釉薬の中の鉄の量が増えると、色はだんだん濃くなり、黄土色、茶、黒などが出ます。
炎の状態によって発色が左右されます。飴釉、柿釉、などや、茶色や黒の釉薬の大体は、
鉄釉が基本になっています。
また、鉄の赤錆びの状態に近いベンガラを絵の具にして描く、赤絵という方法があり、800℃以下で焼き、赤く華やかな色をだします。
さらに作り手たちは、理屈に裏付けされながらも、好みや望む色にするために、釉薬や、土、焼き方などに、独自の工夫を凝らしていきます。
『注1』 緑青(ろくしょうは)毒と思われ勝ちですが、毒性は考えなくてよいと思います。取りすぎたらなんでも身体に良くない程でなければ、安心して良いものです。鍋や十円玉も錆である酸化銅が毒では、あんこも煮れないし、お駄賃に子供に十円玉上げられずに、50円や100円では、お金かかってしまいます)
【鈍色も美くしい】
鈍色と書いて「にびいろ」と読みます。はっきりしない色のことです。
やきものの歴史では、澄んで綺麗な色をめざし、神業のような、歪みのない形を目標にしてきました。
ところが、技術が進むにつれ、純度高く精製され、安定して確実に焼ける窯などが開発されていき、型で作る技術も進歩ました。けれどその分、暖かみが消え、無機質な器が多くなってしまいます。
金属で色が発色するのは化学的な理屈ですが、自然が生み出した素材を使うことや、それに近づけることで、飽きの来ない深みの有る色を、出そうと、作り手は励んでいます。
木の灰や、泥や、土など自然のままを上手く使うことで、暖かみや表情に豊かさを与えようとしています。自然な素材は、化学的に作り出した金属とは違い、
多少存在する不純物が、かすかな濁りをあたえます。それが不思議と、不完全がゆえの安心感を与えてくれていると、ぼくは、思っています。
これらが、侘び寂びの感性に繋がっていると、そう思っています。
甘庵
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今朝店に出かけて来るときに、
はらはらと雪が舞っていました。
東京、初雪観測だそうです。
ちょっと寒いなーと思ったのですが、
雪とは・・・。
でも、そこは春の雪で、
積もるどころか、この数日が乾燥していたもあってか、
道路が塗れるような気配は全くみせませんでした。
そんな朝の通勤で、スミレを見つけました。
日だまりの、側溝と塀の隙間に、
たくましく咲いていました。
すみれ色のスミレと、

白花のスミレが、

1メートルほど離れて咲いていました。
春と冬のせめぎ合いという感じです。
それにしても、スミレの生命力には感心します。
1mmかせいぜい2~3mmの隙間に、
しっかりと根付いていて、たしか昨年も同じところで見かけました。
木蓮、桜、ろうばい、海棠、ボケ、などの春の木々の花も大好きですが、
スミレのような草もいとおしいものです。
甘庵
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明日からの企画展「春のしつらえとお話し会」 でお話しする内容を、
今までの資料から整理しています。
主な項目をリストアップして、
お出かけいただいた方に中から、
お話しする内容を選んでいただけるようにと考えています。
結構一杯あってちょっと、手こずりそう。
悩んでおります。
ちょっと間抜けで脱線ばかりするお話し会になりそうですが、
がんばります。
皆さんの質問で、ぼくも勉強になると、
今から楽しみにしています。
ぜひ、ぜひ、お気軽に遊びにきてくださいね。
甘庵
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晴天の春日
今日は青空に映える富士を見ながら、
都留のもえぎさんへ、あかり展をお持ちしました。
空間が違うと、ちょっと違った感じになり、
あかり一つずつに惚れ直してしまいます。
お近くの方は是非お出かけください。
その時には併設されているカフェも超おすすめですよ。
乗り物好きなうつわ屋としては、ラッキーなことがありました。
帰りに、リニアモーターカーを見たんです。
2度目です。
瞬きするうちに視野から消えました。
中央道河口湖線とリニア試験軌道が交差するところがあり、
もう数え切れないほど通っていますが、
お目にかかれないものです。
音もなくす~って。
青い車体が、さぁーって、横切っていきました。
開花予報が修正されたとはいえ、
桜の花がほころびそうなところも有るようです。
ソメイヨシノではありませんが、
店の入り口の桜の蕾もだいぶ膨らんでいます。
もう大丈夫だろうと、夏タイヤに履き替えました。
これはもう、肉体労働でしたが、
それでも、前の車に比べてタイヤが随分と小さくなったので、
楽勝楽勝。
と、若ぶっていますが、ちょっと腰が痛いうつわ屋です。
甘庵
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昨夜残業中に「いらっしゃると思って、急須をいただきにきました」
と、おいでになったのは、
三鷹の鯛焼き屋さん
「たかね」のご主人。
美味しいんですよ。
鯛焼きはもちろんですが、
友人に頂いたお祝いのおこわ(赤飯)も美味しかったな~。
でも、じつは・・・近いのに、伺うチャンスを逃しています。
その「たかね」さんは、鯛焼きを一つずつ焼く手を抜かない精神は、、
甘味処の隅々まで行き渡っていると、複数のファンから聞いています。
ぼくが知る限りでも甘味どころで、
加藤財さんの急須を使ってもらっています。
時折いらしてくださるのは、急須の補充です。
聞けば、店で使うことで破損していってしまうようです。
先日、数点補充して頂いたばかりなのに・・・。
ちょっと悲しそうにしながらも、
さばさばとしていらっしゃいます。
当然、店でお使いになれば、
壊れることもあるでしょう。
それを覚悟で、加藤さんの繊細な急須を使っていただけるのは、
鯛焼きを一つずつ焼いて、あの皮のぱりっとした感じ・・・。
そう「たかね」さんの手を抜かない、
プロの心意気に、至極感心しています。
皆さん考えてみてください。
ちょっとお食事して、一人頭福沢さんでおつりがちょっと、
なんて言うお店でも、器好きの方ならわかりますよね。
手で作った器など、まず出てきませんよね。
うつわ屋には、嬉しいですね~鯛焼き屋さんの心意気。
甘庵
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今回のあかり展の開催期間は通常の企画展より、
1週間長くて3週間でした。
暖冬とはいえまだ冬を感じさせていた空も、
すっかり春空になりました。
2月にあかり展をするのは、
いろいろな企画上の理由もありますが、
一番の理由は、暖かなあかりを、
感じ取りやすい季節だと思っているからです。

その季節もすっかり春めいてきました。
ぼくとしては、あかり展の空間を名残惜しみながら、
今日までで、また模様替えをします。

明日の3月13日(火)から15日(木)までお休みをいただきます。
その間には、あかりを片づけて山梨都留市のもえぎさんへお持ちしますので、
是非お近くのかたは、画像では感じ取れない、
あかりをご覧になってください。

また、16日(金)かえの「春のしつらえとお話し会」の、
飾り付けと、お話しのための資料や準備もいたします。
とはいえ、のんびりした会に・・・というか、
閑散とした会の毎日になるかと思うので、
これを機にブログ読者の方々の参加を大いに期待しております。
このお話し会で一人でも多くのブログ読者と、
お目にかかれればと楽しみにしております。
ぜひぜひ、お気軽にお出かけください。

器への素朴な疑問や、器の手入れや使いかた、
作り手のこと、甘庵流器の楽しみ方などなど、
その時の気分や、参加してくださる方の、
希望にそってのお話し会にしたいと思っています。
よろしくお願いしたします。
甘庵
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ガラスのシェードの作り手の荒川尚也さんと巳亦敬一さんは、
お二人とも、人気の器作りの手であることは、
婦人誌やメディアでもよく取り上げられるので、
皆さんご承知かと思います。
その本業をいうか、器をあかりの元で撮ってみました。
いわば兄弟競演です。


荒川さんの澄んだ素地と泡をより演出するあかりで、
器に、より動きのある煌めきが見えます。


巳亦さんの独特のくすんだ彩りが光を取り込んで、
しっとりとして、柔らかで穏やかな表情を倍増します。
荻窪銀花で提供するあかりは、
明るさを手にいれるだけでなく、
陰影を生み出し、器や料理の素材感や味わいを増幅して、
ぼくにわかりやすく解いて見せてくれます。
甘庵
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昨日に続いて、ガラスシェードのディテールをみていただきます。
今日は荒川尚也さんの泡の綺麗なシェードです。

澄んだ素地にデザインされた泡は、
暮らしの中で使われる器として、
品と格を兼ね備えたガラスとしての定評を得ています。

器でも日差しやあかりで、泡が綺麗に煌めくのを、
楽しめますが、荒川さんの作るあかりは、
ガラスシェードを一番綺麗に見せたくて作ったようなものですから、
それはもう、素晴らしい煌めきを見せてくれます。

固まりを感じるほどの厚みのあるガラスに、
光がとけ込んでいるのを感じとれ、
泡の一つ一つがキラキラと輝いて、
澄んだ水や、氷を連想させます。
台は鉄を腐食させて描いた文様が施され、
重厚な存在感で、厚みのあるガラスシェードを支えています。
明るさを求めるより、
そこに陰影をつくり、
ガラスの影と台の質感を楽しむあかりです。
甘庵
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あかり展のシェードはガラスを多いとお話しました。
荒川尚也さんも巳亦敬一さんも、
荻窪銀花で人気の、ガラスの器の作り手です。
ガラスは光を通す性質から、
受ける光で様々な姿を見せてくれます。
当然光量が豊富な方が、
印象も強く見えます。
演出効果も膨らみます。
その意味では、あかりのシェードに仕立てられた、
ガラスは器では見られない表情も見せてくれます。
今日は巳亦さんのシェードのクローズアップをみてください。
器の装飾でもよく使われるいろいろな方法を、
見えやすく美しい状態で楽しめます。
これは、トンボ玉のように作られたピースを、
輪切り状態ではめ込んだ部分です↓


こちらは、縦にはめ込んだ部分で立体的な奥行や厚みも見て取れます↓


のばして等間隔に並べて巻き込み、ねじりを加えたり↓


眺めすかして、ゆっくり観察すると、
溶けたガラスの動きや、
ダイナミックな作業が見えてきます。
ガラス好きにはたまらないあかりです
甘庵
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よく晴れて、少し冬型の天気になっているのか、風が冷たい今日。
窓からは澄んだ日の光がこぼれてきますが、
冷たい気温のせいか、あかり展のランプのぬくもりが、
ほどよく心地よく感じます。

白く明快な真昼の太陽光に比べて、
タングステンランプのあかりは、
焚き火や、囲炉裏や、暖炉や、燭台や、行灯や、ランプなどの、
燃える火に近くて、
明るさと同時に、暖かさも手に入る、
そんな「あかり」だからでしょう。

荻窪銀花の昼下がりは、
外の冷たい風とは無縁の、
空間になっています。
甘庵
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