きっと飯碗だったと思う。
たぶん瀬戸物屋さんといわれたお店で、
たくさん並んでいた、子供用の茶碗の中から母が選んだのだと思う。
動物やヒコーキの可愛い絵があったように記憶しています。
皆さんも日本人は大なり小なりこんな始まりで、
自分の器を持ち始めたと思います。
ぼくの子供の時から半世紀が経った今も、
素材や形が違ってもその習慣は、
まだまだ、残っていると思います。
そのためか、成長しても、暮らしを変えても、
独立しても、きっと自分の器を持ち続ける方が多いと思います。

その中でもやはり自分の器の王様は飯碗ではないかな。
パンやパスタやうどんやそばやシリアルなど、
主食というか、炭水化物はいろいろあるけど、
やっぱり日本人の大多数の方がご飯が中心でしょう。
となればやはり飯碗。
それも自分の飯碗。
当然、子供の頃から培った好みがはっきりしてきて、
自分で選択が出来るようになればなおのこと、
より自分の好みが出来ることでしょう。
大きさからはじまり、形、素材感、色、口当たり、手に持った感触や重さなど、
まさに千差万別。

先に書いた瀬戸物屋さんの瀬戸物の茶碗は、
明治に入って鉄道の普及と重なるようにして、
日本中に広がったいき、
多くの人々が憧れだった、やきもの(半磁器や磁器)の茶碗で、
ご飯を食べれるようになったそうです。
それまでは、簡単な漆塗りか、
木地のままが中心の椀で食べていたそうです。
当然使うことで、染みて汚れていくのですから、
いつまでも変わらない白い飯碗は、
憧れだったのでしょう。
灯心の明かりが、ランプになり、ガス灯になり、
電球に変わっていく暮らしの中の明るさと平行するように、
明るく華やかで、変わらない“うつわ”へ、
気持ちは移行していったのでしょう。

暮らしや好みや嗜好で選択の幅の広い、
今のぼくらには想像できませんね。
染め付け、白磁、粉引き、赤絵、刷毛目、絞り手などなど手法も多様。
磁器や陶器や漆器と素材も様々。
形も大きささも、約束もなく自由に選べます。
味覚の秋中でも、新米の美味しい季節になりました。
さて、あなたはどんな飯碗で新米を食べますか?
甘庵