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うつわ屋のつぶやき

うつわ好きの甘庵が、やきもの・吹きガラス・漆器などの、四季折々の身近な和食器を使う楽しさをお伝えします。荻窪銀花で催される企画展の器をご紹介し、使い方から、作り方、作り手のことなど、毎日お伝えします。

これは、なにやきですか?

「これは、なにやきですか」とよく尋ねられます。とても難しい質問です。この問いのほとんどが、何処で焼かれているかをお尋ねになりたいようです。ところが、そこにまぎらわしさが生まれてしまいます。
 土地の名前がついても、備前焼、信楽焼、唐津焼、萩焼などの作風や手法がある程度限定されるときは良いのですが、美濃焼、瀬戸焼きなどの窯の所在を示すだけの意味で表現される場合が問題なのです。話が少しややこしく成りますが、たとえば美濃で焼かれた織部焼も、瀬戸で焼かれた織部焼も、その意味では織部焼でありながら美濃焼であり、瀬戸焼なのです。もともとは、『やき』は手法や種類を分ける意味の言葉だったのが、現代のように手法や、土の流通が解放されてからは東京の織部(焼)も不自然ではなくなりました。 
 話が少しずれるのですが、シルクロードの終点の日本には、歴史の流れの中で様々な文化や技術が流れ込んできました。やきものも例外ではなく、なかでも朝鮮半島や、中国からの影響は大きく、現在も広く使われている手法が多くあります。中国からは白磁、青磁、染付(中国では青花セイカと呼ばれた)、赤絵などが伝わり、朝鮮半島からは三島、粉引、刷毛目、伊羅保が伝わり、現在も各地で模作や独自性を加えたさまざまのものが焼かれています。いっぽうやきもの戦争といわれた文禄、慶長の役後、日本に連れてこれれた半島の陶工たちがやきもの新風を送り込み、日本の風土になじんでいき、その後藩制が布かれてからは各藩の名物として立派な収入源となり、他藩への技術の流入をふせぐため『一子相伝』という方法や藩による許可制が取られたりしました。また茶道でいわれる国焼き(瀬戸以外の国で焼かれた茶器のこと。ただし京都の焼き物は当時から各地の陶土を使うため別格とされている)は小堀遠州の時代に多くの名品を出し各窯の知名度を高めました。そして現代、昭和平成のやきものの人気や、観光みやげや窯業産地の売り込みシール貼りなどで、多くの人々の耳になじみやすい◯◯焼きという呼び方が定着していったようです。
 現代の公募展(日本伝統工芸展など)の多くでは『焼き』を省き、志野、織部、備前、萩、上野、九谷などといっています。あるいは、手法や、釉薬をあらわす染付、青磁、白磁、炭化焼締、辰砂、刷毛目、粉引などを使い、つづけて後ろに形を表す壷、鉢、皿、花入、急須、茶碗、茶入などを付け加えて、備前大壷、青磁花入、織部茶碗、炭化焼締輪花鉢というように使われています。
                     閑庵 


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テーマ:工芸 - ジャンル:学問・文化・芸術

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