FC2ブログ

うつわ屋のつぶやき

うつわ好きの甘庵が、やきもの・吹きガラス・漆器などの、四季折々の身近な和食器を使う楽しさをお伝えします。荻窪銀花で催される企画展の器をご紹介し、使い方から、作り方、作り手のことなど、毎日お伝えします。

「真」の器は轆轤挽きの心意気

今日の光藤さんのお話は、すこしまじめにお話します。

mtfj194.jpg


この白磁の碗は、実になんでもない、
よくありそうな、深めの碗です。
土物の作品に比べて、衒いも、遊びも少ないフォルムです。
素地も釉薬も、静かな表情を見せています。

少しくすんだ青みがかった様子の肌合いは、
真っ白な素地の磁器より、
温かみや、懐かしさや、重量感を覚えます。

書体に、「真・行・草」というものがあります。
なんでも、王 義之という偉大な書家が、確立したそうですが、
格式の高い「真」と、格式を解いた「草」と、
二つの中間の「行」だそうです。
この、三体は日本文化の中に良く当てはめられています。
絵画、建築、芸能と、もちろん、茶の湯の中でも、
道具や作法にいたるまで、大きな影響を与えています。

さて、その意味で、
ぼくは、光藤さんの器を並べたとき、
「真・行・草」の三体を意識して見てしまいます。
この白磁のシリーズには「真」が見えます。

mtfj198.jpg


シャープで速い回転の轆轤の勢いを秘めながら、
ぶれのない、揺るぎない姿は、
静かさの中に、緊張感のあるエネルギーを感じます。
この轆轤を挽くときの、光藤さんの心意気が、
間合いをつかんだ、息づかいとともに伝わってきます。

光藤さんが中学を出てすぐに、
定時制高校に通いながら、訓練校を出て、
京都の轆轤場で働いていたことを書きましたが、
ティーンエージャーで轆轤を仕事として、
毎日挽いていたことが、
光藤さんの大きな力、技となり、
大切な財産になっていると思います。
轆轤師としての技術は、決められた形を狂うことなく、
たくさん、早く挽くことといっても間違いではありません。
その技術を、若くして習得した光藤さんです。

ただ、いくら技があっても、ぶれのない轆轤を挽けても、
「真」のフォルムが挽けることにはなりません。
「真」とは、格式の高さ、品を兼ね備えてならなければなりません。
その意味で、美しくデザインされて、精巧に作られても、
型で作られた器には、品があっても、格は見いだしにくいものです。
「真」の器には、作り出す人の心意気が必要かと思います。

心静かに轆轤に向かい、
間合いをとって、磁土への敬意をもって、
無理なく延ばし、穏やかに広げていく、
そして美しさに到達した瞬間を読み取り、
手を止める。
卓越した舞のように、動きに無駄はありません。
流れるように轆轤を挽きます。

光藤さんの白磁の器から、
ぼくには、そんな光景が見えてきます。

mtfj193.jpg


そして、こんな轆轤を挽けるからこそ、
くずした「草」の轆轤も挽けるのです。
草<侘び寂び<土物が成立するには、
「真」の轆轤があって、それをくずしてはじめて、
「草」の轆轤があると、思っています。

                 甘庵

テーマ:工芸 - ジャンル:学問・文化・芸術

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
https://utuwaya.blog.fc2.com/tb.php/272-df0429dd
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)